君がいるだけで
(Sideハインリヒ)
戦いの後の。
ギルモア邸での休息の一時を、ハインリヒはほとんど、イワンの側で過ごす。
イワンの側にいると。
戦いで疲れ切ってしまった心が。安らぐような気がするから。
眠りの時間に入ったイワンの揺りかごの側で本を読み、食事をする。
ボーっとしながら、イワンの寝顔をじっと見つめる。
「ハインリヒ!」
見兼ねたフランソワーズが、ハインリヒに命令を下した。
「毎日毎日、家の中でウロウロしてたら不健康よ!少しは外に出なさい!!」
「フランソワーズ・・・オレにとっては、イワンの側にいるのが一番健康的・・・」
「はい、さっさと外に出る!!」
最後まで聞いてもらえず、ハインリヒはフランソワーズに腕を掴まれ。
玄関の外まで引きずり出された。
「夕飯の時間まで、帰ってきちゃダメよ」
「フランソワーズ・・・」
不満そうなハインリヒに、フランソワーズはニッコリと微笑みかけた。
「あら。一人がそんなにイヤなら、ジェットとジョーにアナタのお供を頼むけど?」
ジェットとジョーの二人を連れて歩く気力と体力を、今のハインリヒは持ち合わせていなかった。
「・・・行ってくる・・・」
フランソワーズは、無敵だった。ある意味、00ナンバー最強であった。
「ハイ、行ってらっしゃ〜いvv」
彼女の選択肢には『ハインリヒを外に行かせる』とう項目しかないようで。
これ以上何を言っても無駄であると判断し、ハインリヒは一人、街に出掛けることにした。
街のざわめきは、いつもと少しも変わらずに、ハインリヒを迎えてくれる。
繁華街をゆっくりと歩きながら、ハインリヒは辺りを見回した。
近くにいる赤ん坊を抱いた母親の姿が目に入ったとき、ハインリヒはその頬に穏やかな微笑みを浮かべた。
小さな赤ん坊が。
ハインリヒの小さなイワンの姿と重なったからだ。
赤ん坊がハインリヒを見て、微笑んだ。
ふわっと心が軽くなるような無邪気な微笑みに、ハインリヒもまた、微笑みを返す。
その時。
自分をじっと見つめる視線を感じて、ハインリヒは視線が来る方向に、目を向けた。
振り返った先では。
長身の青年が、ハインリヒを見つめていた。
視線が合った途端、その青年は、ニコニコと笑いながら、ハインリヒに近付いてきた。
「こんにちわ。綺麗なお兄さん」
ハインリヒの側近くにまで近付くと、彼はやはりニコニコと笑いながら、ハインリヒが耳を疑うような言葉を口にした。
「これから、ボクと一緒にデートしない?」
そして今。
ハインリヒは、何故かその青年と一緒に、街を歩いている。
『これから、ボクと一緒にデートしない?』
その誘いを断ることは、容易かったはずだ。
でも、ハインリヒにはそれが出来なかった。
青年の優しい砂色の瞳。
サラサラと風にゆれる、瞳の色とおそろいの砂色の髪。
全部、知っているような気がしたから。
(イワンが大人になったら・・・)
そう、ハインリヒが想像していたそのままの姿で、青年はハインリヒの前に現れたのだ。
相変わらずニコニコと嬉しそうに微笑みながら、青年はハインリヒに問い掛けた。
「キミ、名前は?」
「・・・アルベルト」
「ふーん。素敵な名前だね。キミにピッタリだ」
「お前は・・・?」
ドキドキしながら訊ねたハインリヒに、青年は満面の笑みで答えた。
「当ててみて」
ハインリヒは一瞬、言葉に詰まり。
それから、恐る恐る、
「・・・イワン?・・・」
呼んでみた。
「・・・・・・」
青年はマジマジとハインリヒを見つめた後、ニコリ、と微笑んで。
「当たりだよ」
それから、ハインリヒに向かって、恭しく一礼をして見せた。
「ボクの名前は、イワンだ。よろしく、アルベルト」
「・・・あ、ああ・・・」
イワンの手が、ハインリヒの腰を、ごく自然に抱いた。
「ええっ!?」
思わず動揺の声をあげてしまったハインリヒに、イワン青年はしょぼんとしながら、
「ダメかな?折角のデートなんだから、これぐらい・・・」
しおれた声で言った。
「いやっ、ちょっと驚いただけで。お前の好きなようにすればいい」
慌ててハインリヒが答えると、イワンはニッコリと微笑んで答えた。
「ありがとう。一日、ボクの好きなようにキミをエスコートさせてもらうよ?」
そして。二人の奇妙な一日が、幕を開けたのだ。
二人は、まるで恋人同士のように、街を歩く。
恋人同士、というには、ハインリヒがいささかぎこちない動きを見せていたが、それはそれで、初々しくて結構なことだった。
ハインリヒは、ドキドキしていた。
腰に回された手が気になる、というのもドキドキの原因だったが。
この青年と初めて会った、という気が、まるでしなくて。
大人になった『ハインリヒのイワン』とデートをしているような、そんな気持ちだったから。
視線をイワン青年に向けると。
イワンは、優しい砂色の瞳でハインリヒを見つめてくれる。
「ボク、映画を見に行きたいんだけど。キミはどうかな?」
コクリ。
ハインリヒが頷いた。
「じゃ、行こうか」
相変わらずハインリヒの腰に手を回したままのイワンに。
ハインリヒは、思わず言ってしまった。
「イワン」
「何?」
「腰に手を回すの、やっぱりやめてくれ」
「・・・・・・」
しょんぼりとするイワンに、ハインリヒは代理案を出した。
「腕を組もう、イワン。それなら、大丈夫だから」
パッとイワンの表情が明るくなり、
「アルベルト、キミって、本当に可愛いね」
イワンの腕がハインリヒの腰から離た。
長いその腕に、ハインリヒが腕を絡ませると。
イワンは心底嬉しそうに、ハインリヒに微笑みかけた。
そして二人は、映画館に入る。
イワンが選んだのは、ちょっと切ない恋愛映画で。
映画を見ながら、思わずホロリ、としてしまうハインリヒを見て、イワンはクスリと笑った。
「アルベルトって・・・クールそうなのに、案外涙もろいんだ?可愛いね」
耳元で囁かれ、ハインリヒは赤くなった。
スッとイワンの手が伸びて、ハインリヒの手に、その手が触れた。
ドキドキすると同時に、なんだか安心してしまって。
ハインリヒは、そのまま黙って、スクリーンに見入った。
映画が終わった後、お洒落なティールームに連れて行かれた。
薫り高い紅茶を飲み、ケーキを食べながら、
「ねえ。アルベルトってさ、好きな人とかいるのかな?」
訊ねてきたイワンに、ハインリヒは思わず、紅茶を口から吹き出しそうになった。
「好きな人?」
「そう。知りたい」
咳払いを一つして、ハインリヒは答えた。
「・・・いるぞ」
「どんな人?」
「いつでもオレを暖かく包み込んでくれる・・・そんなヤツだ」
「ふーん」
「お前に、似ている・・・」
そう言うと、イワンの瞳が柔らかい光を放ち、優しく揺らめいた。
「本当に?そんなコトを言ってもらえると、嬉しいな」
時間を気にせずに色々な事を話し(イワンは、非常に博学だった)。
店を出た頃にはもう、すっかり日が暮れていた。
「そろそろ、家の人が心配してるんじゃないか、アルベルト?」
イワンが優しくハインリヒにそう言った。
「もう遅いから、送っていくよ」
腕を組んだまま、二人は黙って歩いた。
ハインリヒは、イワンに聞きたいことがあったが。
なかなか勇気が出ず、聞くことが出来なかった。
顔を上げてイワンを見上げると、イワンの瞳は月明かりを受けてキラキラと輝いていた。
その瞳を。
ハインリヒは、とても愛しいと思った。
ギルモア邸の玄関前までハインリヒを送り届けると、
「じゃあね、アルベルト。今日は楽しかった。ありがとう」
イワンはハインリヒにクルリと背を向け、そのまま立ち去ろうとした。
「イワン!!」
呼び止めると、イワンはハインリヒを振り返り。
不思議そうな表情で、ハインリヒを見つめた。
一瞬、戸惑ったが。
ハインリヒは今日一日、ずっと聞きたかった言葉を口に出した。
「イワン・・・お前、イワンだろう・・・?」
イワン青年は、ニコリ、とハインリヒに笑いかけた。
「そうだよ。会った時から、そう言ってるじゃない?」
「違う・・・!」
ハインリヒはもどかしげに眉を顰めた。
「そうじゃなくて・・・」
ハインリヒは何か言葉を探しているようだったが。
「・・・お前は・・・『オレの』イワンだろう?」
しばらくの後、そう言ったハインリヒの眼差しは、真剣そのものだった。
イワンの瞳に驚きの色が走り。
それからイワンは、瞳を優しく和ませてハインリヒの頬に手を伸ばした。
両手でハインリヒの頬を挟み、イワンは彼の瞳を覗き込む。
「好きだよ・・・ボクのハインリヒ」
『アルベルト』ではなく、『ハインリヒ』と呼ばれたことに気付き、ハインリヒはハッとする。
『ボクのハインリヒ』
大人びた声はハインリヒの聞きなれた声とは違ったが。
その口調は・・・イワンのものだった。
「イワン・・・」
「黙って」
イワンに向かって何事かを告げようとしたハインリヒだったが、その言葉はイワンによって遮られた。
イワンの顔が、段々と近付いてきて。
思わず瞳を閉じた瞬間、キスをされた。
ピクリ。
ハインリヒの肩が微かに動いたが。
彼は静かに、そのキスを受け入れた。
「・・・っ・・・」
「ゴメンね」
長いキスが終わった後に、イワンはそう言うと。
ハインリヒの頬に触れていた手を離し、今度はハインリヒを抱きしめた。
包み込むように、優しく。
けれども、力強く。
彼の腕の中は、不思議なほどにハインリヒを安心させてくれた。
・・・イワンを抱きしめて、彼の優しさを感じている時のように。
「ハインリヒ、キミが好きだよ。昔も、今も、これからも、ずっと・・・」
ハインリヒを抱きしめていた腕を離して、イワンは再度、ハインリヒの瞳を覗き込んだ。
その砂色の瞳が、優しく揺らめく様を。
ハインリヒは黙って。見つめていた。
「忘れないで。もう、二度と会えないけれど。ボクは何時だって、キミの側にいるから」
左の頬をそっと撫でられた、と思った瞬間。
イワンの姿は、ハインリヒの目の前から掻き消えた。
まるで、幻のように。
(・・・長い夢を見ていたのか・・・?)
夢ならば、覚めないで欲しかったと。
そう、ハインリヒは思った。
確かに、あれはイワンだった。
ハインリヒの、イワンだったのだ。
「イワン・・・」
名前を呼んで溜め息をついた時。
玄関の扉が、激しく音を立てて、開いた。
「ハインリヒ!何なんだ、今の男は!?」
「彼はあろうコトか、キミにキスして、キミを抱きしめたね!?」
鬼のような形相で、ジェットとジョーがハインリヒの前に現れた。
「知らないヤツに付いて行ったら危ないって、何度も言ったろう!?」
「あの男、捕まえて縛り上げてやるっ!!!」
二人も『彼』を見たという事は。
今日の出来事は、夢ではなかった、という事だった。
ハインリヒはクスリ、と小さく笑いを漏らす。
「ちょっとハインリヒ!?笑ってる場合じゃないよ!!!」
「そうだぜ!見ず知らずの男にあんなコトされて!!」
二人に視線を走らせ、
「知らないヤツじゃない」
ハインリヒは静かに言った。
「オレは、アイツを良く知っているから」
それからハインリヒは視線を伏せ。
呆然とした表情のジェットとジョーを置いて、家の中に入っていった。
「ハインリヒ!?」
呼び止められたが、ハインリヒは振り向かなかった。
今、あの二人の相手をする気分には、とてもなれなかったから。
家に戻ったハインリヒが真っ先に向かった場所は。
やはり、イワンの側だった。
瞳を穏やかな色に染め、ハインリヒはぐっすりと眠っているように見えるイワンに囁きかけた。
「イワン。今日は、ありがとう。・・・楽しかったぞ」
普通の恋人たちのように、イワンとデートをして。
キスしてもらって、抱きしめられた。
「オレは・・・忘れないから」
少しだけ泣き出しそうな。
そんな表情になって。
それでもハインリヒは、イワンに向かって微笑みかけた。
「絶対に、忘れないから」
「ハインリヒ、お帰りなさい!今日は、楽しかった?」
「ああ。・・・楽しかった・・・。いい気分転換になった。ありがとう」
「言葉と言葉の間が、何だか意味深ね〜?何かあった??」
「いや・・・」
「そう?」
フランソワーズは優しくハインリヒに微笑みかけたが、それ以上の追求はしなかった。
彼女のその優しさを、ハインリヒはありがたく思った。
(実は、知ってるもの♪ハインリヒが今日、何をしていたかなんて)
そうフランソワーズが思っていることを知らないのは、きっと、ハインリヒにとって幸運なことだったろう。
ハインリヒは、リビングのソファにそっと身を沈めた。
『好きだよ・・・ボクのハインリヒ』
イワンの声が、頭の中で繰り返し再生される。
「オレも・・・好きだぞ、イワン」
小さくて可愛いけれど、いつでも大人なハインリヒのイワン。
身体は小さな赤ん坊だけれども。
一緒にいると、心の中に幸せが溢れてくるから。
どんなにキツイ時でも、穏やかな気持ちになれるから。
だから、ハインリヒはイワンの側にいたくて。
そしてイワンにとっても、自分がそんな存在であれば・・・。
そんなことを、思いながら。
今度は心の中で、ハインリヒは呟いた。
(ずっと、好きだぞ・・・イワン)
その頬に穏やかな笑みが浮かんで。
イワンの事を想い、幸せな気持ちのまま。
ハインリヒはそっと、瞳を閉じ。
さらに深く、ソファにその身を沈めるのだった。
〜END〜
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
管理人念願の、青年イワンの登場です!!
ちょっと気合入れて書きましたが、気合入れすぎてから回ってるかも、です(汗)。
今回は、ハインリヒサイドのお話、というコトで書きました。
良かったね、ハインリヒ。イワンに抱きしめてもらえて〜。
という気持ちでいっぱいです。
次回は、イワンサイドのお話です。全く同じお話を、イワンの側から書きます。
多分、こっちの方が書きやすく、長く書けるはずです(笑)。
ふみふみ、どちらかというと、攻→受話のほうが得意っすから。