Promised Land




「しばらく留守にするが・・・。私から逃れようなどと、夢にも思わぬ事だ。いいな、アルベルト。これは、忠告だぞ」
 そう言い置いて、男は城を出て行った。
 ぐったりとベッドにうつ伏せていたハインリヒは、渾身の力を振り絞り、身体を起こした。
 逃げるなら、今しかない・・・。
 心が、そう叫ぶ。
 重い身体を引きずりながら、それでも急ぎ足で。
 少しでも早く前に進もうと、心ばかりが焦って、上手く足が付いていかない。

 季節はずれの薔薇が咲き誇る庭を通り過ぎようとすると、まるで警告するかのようにザワザワと薔薇の花が揺れ、鋭い棘が、ハインリヒの手の平に赤く傷を作った。

 花々を押しのけるようにして・・・城の外に出る。
 明るい太陽、頬を撫でる風に、ホッと息を吐いた。
 誰も・・・追っては、来ない。
 それを確認しても尚。
 どこか不安で、ハインリヒは出来うる限り急いで、城から離れた。



 ドイツが、徐々に遠ざかっていく。
 まさか飛行機の中まで追っては来ないだろう、という安堵がハインリヒを包んだ。
 しばらく音信不通にしていて、皆が心配しているに違いない。
 ジェットも・・・。
 適度な温度が保たれた空間の中で、ハインリヒはウトウトと眠りについた。

『アルベルト。言ったはずだ』
(何を・・・?)
『私からは、決して逃れられない・・・』
(今、オレは逃げ出すことに成功しているじゃないか!)
『後悔する事になるぞ、アルベルト。クククク・・・・』

 ガバッと跳ね起きた。
 男の低い笑い声が、耳に残る。
 既にドイツから遠く離れているはずなのに。
 自分の身は安全だと思っているはずなのに。
 どうしようもなく、不安になる。



 何かに急かされるようにして辿り着いたギルモア邸には、生命の気配がまるで感じられず。
 違和感を覚えて、ハインリヒはその前に立ちすくんだ。
(みんな・・・どこかに出かけているのか?)
 自分に言い聞かせるようにして玄関のノブに手をかけた瞬間、ハインリヒの目の前で、ガラガラとギルモア邸が崩れ落ちた。
 一瞬にして、目の前の世界が瓦礫の山に変化する。
 それに埋もれるように、チラチラと見えるモノは・・・。
 ・・・赤い防護服・・・?
 瓦礫を掻き分け、見つけたその姿は。
「フランソワーズ・・・!!」
 柔らかな若草色の瞳が薄っすらと開かれて、ハインリヒを見つめた。
「ハインリヒ・・・無事だったのね、良かった・・・。アナタは・・・生きるのよ・・・」
 微かに開かれた瞳は、再び閉ざされる。
「フランソワーズ!?」
 腕の中の華奢な身体から、力が失われる。
 恐る恐る周りを見回すと・・・。
 他の仲間達の姿も、其処此処に点在していた。
「何故・・・?」
 明るい茶色の髪・・・ジェットのものだ。
「ジェット!!」
 抱き上げて、その身体を揺らした。
「聞こえるか、ジェット!?目を開けろ!!」
 先ほどのフランソワーズと同じようにして、琥珀の瞳が薄く開かれた。
「キミが無事で・・・本当に良かった。逃げろ、ハインリヒ。頼む・・・。キミは、ここにいてはいけない」
「ジェット!!」
 琥珀色の瞳が、優しく揺らめいた。
 傷だらけの指先が、ハインリヒの頬に伸びる。
「・・・愛してる・・・。だからどうか・・・キミは生きて・・・」
 頬に触れていた手が、パタリと瓦礫の上に落ちた。
「どうしてだ!?何故、こんなことに・・・!?」

『言ったはずだぞ、アルベルト。私から逃れようなどと、夢にも思わんようにな・・・、と。これは、お前が望んだ結末だ』

「違う・・・!!」

『お前の大切な仲間も、赤毛の坊やも・・・。お前が、殺した』

「違う、違う・・・!!」

 頭を抱え、ハインリヒは激しく首を振った。
「オレはただ・・・みんなに、ジェットに・・・!」
 皆の下に帰りたかった。
 ただそれだけだったはずなのに。

 ささやかなその願いは、無残にも目の前で焼き尽くされてしまった。

 慟哭するハインリヒの頬を伝う涙が、瓦礫の山を濡らす。

『お前のその涙・・・一体、誰に捧げようというのだ?』

 自身の呼吸を止めようと右手のマシンガンのトリガーを引いたが、何の反応も示さない。

「何故だ・・・!?」

『死ぬ事は許さんぞ、アルベルト。この瓦礫の世界で・・・私の言葉に逆らった事を永遠に後悔し続けるがいい』

「黙れ、黙れ!!」

 ただ一人きりで、この世界を生きろというのか?
 胸が締め付けられるような息苦しさに身悶えながら、ハインリヒはバタリと、ジェットの傍らに倒れた。



「どうした、アルベルト?うなされていたが・・・」
「・・・みんなは・・・!?」
 飛び起きながら叫び、男の紅い視線に気付く。
 ここは・・・男の居城だ。ギルモア邸ではない。
 その事に安堵している自分に、ハインリヒは驚いた。
「この場に存在しているのは・・・私とお前の二人だけだぞ。そうだろう、アルベルト?」
 唇を歪めて、男が笑う。
 紅い瞳がどこか粘るような光を帯びて、ハインリヒを見つめた。

 今の今まで、逃れる事ばかり考えていた。
 けれども。
 それをしてはいけないと、頭のどこかで、何かが警鐘を鳴らしている。
 実行に移せば、恐ろしい事が起こると。
 どうしようもない絶望感に苛まれ、ハインリヒはぐったりと男の胸の中に崩れ落ちた。
 その頬を一筋、涙が伝った。
「クククク・・・」
 喉を鳴らしながら、男が低く笑う。
「それは、誰のための涙だ・・・?」
 そう訊ねた男の薄い唇からチロリと紅い舌が覗き、拒絶する間もなく、涙を舐め取られた。
 舌なめずりをしながら、男は満足げな表情でハインリヒを見つめた。
「お前の涙は甘いな、アルベルト。蜜の味がするぞ・・・」
「・・・黙れ・・・!」
 ポロポロと瞳から零れ落ちる涙を止める事ができずに。
 ハインリヒは白いシーツに顔を埋めて嗚咽した。
「アルベルト」
 どこか歌うような口調で、男はハインリヒの名を呼んだ。

「しばらく留守にするが・・・。私から逃れようなどと、夢にも思わぬ事だ。いいな、アルベルト。これは、忠告だぞ」
 身なりを整え、男は漆黒のマントを翻しながら部屋を出て行く。
 その姿を見送りながら、けれども、逃げようなどという気は毛頭湧き出てこなかった。

 逃げられない、逃げられない・・・。

 季節はずれの薔薇が狂い咲く古城の一室。
 取り残されたハインリヒは、絶望に身をよじりながら一人、ただ、涙を流し続けた。


  〜 END 〜




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今回は、オーソドックスな感じの44になりました(?)。
ハインさんに絶望を味あわせて、ニヤリと笑ってこそ黒様(悪い人バージョン)。
「願い/は焼き尽く/されて終わら/ない瓦礫/の世界で・・・誰/に捧ぐ」
の部分がすごく好きな曲です、今回のイメージソングは。







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