It's the end
小ぶりの鞄に、必要なものだけを詰め込んで。
深紅の薔薇が咲き乱れるその場所を、後にする。
風が強く吹き、薔薇達がその身体をザワザワと揺らしながらハインリヒを見送った。
唇を開くと、零れ出てくるのは溜息ばかり。
どこか虚ろな眼差しで窓の外を眺めるハインリヒに、男が問いかける。
「アルベルト・・・私の側にいるのは、そんなにも苦痛か?」
苦痛かどうか・・・そんなコト、分からない。
そんな意味を込めて力なく首を横に振ると、男は黙って、部屋を出て行った。
窓の外の世界には、大切なものがあったはずだ。
それが何かも・・・。今は、上手く思い出すことが出来ない。
明るい笑顔が、脳裏で徐々に薄れていく。
彼は・・・誰だったのだろう?
薄れていく笑顔の代わりに、男の眼差しが鮮やかに浮かで消えた。
その紅い瞳を、毎日見ているからか?
脳裏に浮かんだ男の眼差しは、どこか淋しげで苦しそうな色を湛えて揺れていた。
その眼差しに、何故か胸が苦しくなった。
まるで籠の中に小鳥を閉じ込めるようにして、ハインリヒを傍らに留めていた男。
ハインリヒがどんなに開放して欲しいと頼んでも、首を縦に振ることは無かった。
そんな男の突然の言葉に、ハインリヒは我が耳を疑った。
「お前に自由を呉れてやるぞ、アルベルト。我が居城を出て行くがいい」
低いトーン。
語尾が微かに震えているような気がしたのは・・・自分の思い違いなのか。
荷物をまとめるように言われ、けれども渡された鞄に詰め込むべきものは殆ど無い。
「・・・行け、アルベルト・・・」
見慣れた、黒いマント。
バサリとそれを優雅に翻す様。
黒い後姿を見送り、心臓を鷲掴みにされたような気持ちになる。
捨てられたのだろうか・・・?
ずっと、男から開放されたいと思っていたはずなのに。
そんな想いが脳裏をよぎった。
まるで夢を見ているような気分で、その城を後にした。
男の視線を感じ、振り向くと。
ハインリヒが暮らしていた部屋の窓から、こちらを見ている男と視線がぶつかった。
視界の中で、男の表情とその眼差しだけが、大きく見える。
出て行けといったのは、男だ。
なのにどうして、そんな苦しそうな瞳をしているのだろう?
薄暗い石畳の中に閉じ込められてきた身体に、明るい太陽の光が、まるで炎のように感じられる。
焼き尽くして欲しいと思った。
・・・側にいられないのなら。
強要されていたからではなく、本当は自ら側にいたかったのだと思い至る。
もはや必要とされなくなった己を思い、気付くのが遅かったのだと苦く笑った。
『・・・アルベルト』
不意に、男の声が聞こえたような気がして。
腕の中に突如として現れた、大きな薔薇の花束。
血に濡れた様な深い深い紅色。
「餞別のつもりか・・・?」
それは、男が好んだ色だ。
熱っぽく名前を呼ぶ男の低い声が、耳元に纏わり付く。
『・・・アルベルト・・・』
今更・・・どうして、オレを手放したんだ・・・?
先ほど男が顔を覗かせた窓に視線を当てるが、もう、その姿を見ることも叶わない。
二度と会えない・・・?
自身の奥底に仕舞い込まれた望みに気付かずに、溜息しか与えてやることが出来なかった。
腕の中の薔薇に、ハインリヒは軽くキスを落とした。
「お前が・・・幸せでありますように・・・」
男の傍ら以外に、自分が存在できる場所などはない。
右手のマシンガンをこめかみに当て、ハインリヒは呟いた。
「Auf Wiedersehen」
そのまま、引き金を弾いて。
鈍い銃声がぼんやりと辺りに響き、ハインリヒの身体はゆっくりと、雑草の生い茂った脇道に倒れ込んだ。
バサリと腕から落ちた花束がゴロゴロと数回転がり、車道にその身を横たえた。
ガラガラガラ・・・。
荷馬車の通る音が聞こえてくる。
車道に落ちている花束を無造作に轢いて、馬車は進んでいった。
くしゃりと無残に潰れた薔薇の花は、まるで泣いているかのように深紅の花びらを車道に散らした。
〜 END 〜
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すご〜く暗いお話で申し訳なく。
管理人の精神が荒んでいるので、書く話にまで影響が(汗)。
黒様がハインさんを・・・というパターンもあったのですが、
こちらの話を選択してしまいました。
この後、黒様サイドの「花葬」に続きます。
こういう話を書いてしまうと、皆様のご所感が気になります。
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