空、何処までも青い空
私が聖地へ上がるべく生家を離れたのは5歳を迎えた直後の夏の日だった。
覚えているのは、茹だるような暑さ。
そして、雲一つない何処までも青い空。
生まれながらにして守護聖となる事を定められていた私は・・・
そう、女王陛下がまだ女王候補であらせられた頃、「時として愛情は厳しく与えられる」
そうお話申し上げた事もあったが・・・
時としてどころではなく、毎日科目ごとに教師を変えては様々な事を厳しく教え込まれた。
振り返らずに後にした生家。
父母の顔も覚えていない。
声も、どのような仕草で私を褒めてくれたのかも。
ただ、この言葉だけを忘れられずにいる。
「決して後ろを振り返らぬよう」
これまで、その言葉通りに生きてきた。
それこそが光の守護聖としての当然の姿だと信じて。
だが、私は・・・。
私は、振り返って、微笑みを浮かべるられるささやかな幸福を知ってしまった。
ふと振り返ると、その先にはいつの間にか歩みを遅らせていたアンジェリークがいる。
時に道端の花々に。
時に緑濃く茂る木々に。
時に擦れ違う人々に。
アンジェリークは出会いへの感動と感謝を笑顔に変えて伝える。
その輝く笑顔を立ち止まって眺めているのが、好きだった。
気の遠くなるような年月生きてきても、自分自身の生きる喜びを知らずにいた。
それは光の守護聖として不要だと断じたからではない。
喜びを知ってしまった後の、それを失う悲しみを恐れていたから。
私はささやかな幸福を知り、恐れていた通り、幸福を失う悲しみも知った。
「ジュリアス様」
ここには、私を呼んで微笑み掛けてくれた幸福の天使アンジェリークはいない。
常に一定の気候を保ち、四季のない聖地。
しかし、代替わりされた新女王陛下はベールの中から厳かに告げられた。
「聖地に四季を持たせようと思います」
今は夏。
空は常よりも青さを増し、渡る風は熱を持つ。
中庭を歩くと少し汗ばむ。
回廊の日陰に入ると、ひと息漏れる。
暑さは私に、後ろを振り返らずに置いてきた物、振り返って得、そして失った物を思い起こさせる。
あの時、父母はどのような表情をしていたのだろうか。
振り返っていれば、その顔を記憶に留める事が出来ただろうか。
「・・・・・様」
もう一度だけ、そう呼んで貰えたら・・・この喪失感は、優しい思い出に変わるだろうか。
「ジュリアス様!」
こんなに鮮明に響いているのに、思い出に変える事など――。
「ジュリアス様?」
振り返った先には、あの日々と同じように、アンジェリークが立っていた。
「アンっ、陛下!何故このような所に?!」
思わず御名を口にしてしまいそうになる。
「ジュリアス様をお捜ししていたのです」
「何か御用件がございましたら、補佐官にお伝え下さい。陛下御自ら表にお出ましになられるなど・・・それに、守護聖に敬称をお付けになられませぬよう何度も申し上げているはずです」
「でも、私にとってあなたはジュリアス様です」
「・・・さあ、奥へ戻りましょう。入り口までお送り致します故・・・」
「まだ私は用件を済ませていません」
陛下は軽く私を睨む。
「それならば、後程補佐官より伺いましょう。ですから今は――」
「女王としての用ではありません。アンジェリークがお伝えしたい事があるんです」
「陛下っ」
「ここに今は二人です。アンジェリークと呼んで下さい」
女王候補時代の陛下ならば、既に涙を浮かべていたであろう。
しかし、今は挑むように私の瞳を見つめてくる。
深さを増した碧。
愛しい碧。
思わず溜息が漏れる。
「御名をお呼びする事は出来ませんが、御用件はお伺い致しましょう。如何なさったのですか?」
不満そうな表情が笑顔に変わる。
その鮮やかな変貌。
「ジュリアス様、お誕生日おめでとうございます!」
拍子抜けして、少々唖然とした表情を浮かべているであろう私に、陛下は喜ばしそうに続ける。
「聖地では誕生日を皆で祝う習慣はないと聞いています。
でも、私、ジュリアス様のお祝いをしたいのです。
ジュリアス様が大仰な祝いを望まれない事は分かっています。
ですから、少しの時間で構いませんから、私のテラスでお祝いのお茶会しませんか?
あの、用意は済んでいますから・・・お時間は取らせませんから・・・」
一気に告げるうちに、その表情は心配そうなものに変わっていく。
「お気持ちは大変嬉しく思います。
ですが、女王陛下がたかが守護聖の誕生日の祝いといって
大事なお時間を割かれるというのは如何なものかと――」
「たかが誕生日じゃありません!守護聖だから、なんかじゃありません!
ジュリアス様の・・・あなたの誕生日だから・・・」
「陛下・・・」
「アンジェリークです。私はあなたを愛しているアンジェリークです。
確かに私は女王です。宇宙を愛しています。
そして、この宇宙の生命全てを慈しむ気持ちと同じ重さであなたを愛しています。
あなたが私をそういう対象としては見て下さらないのはあの時から百も承知しています。
でも、私があなたを想い続けるくらい許されても良いでしょう?!」
あの時。
森の泉で、アンジェリークが私に愛を告げてくれたあの時。
私にとってはあくまで女王候補でしかないと突き放したあの時。
そして、陛下は挑むように見つめていた瞳を下に逸らせる。
「・・・ごめんなさい。自分でアンジェリークとして、と言いながら、
女王として命令するのと変わらない態度を取ってしまって・・・
ごめんなさい、奥へ戻ります」
私の脇を抜けていく。
陛下を、アンジェリークを行かせたくないのであれば、
自分の歩んできた道を振り返らなければならない。
「アンジェリーク!」
振り返った先の小さな背中がビクリと震え、だがその歩みは止まらない。
「アンジェリーク、待ってくれ!」
その小さな身体を腕に捕らえる。
「・・・無理強いするつもりじゃなかったんです。
ただ、あなたのお顔をやっと久し振りに見る事が出来て、つい気持ちがはやってしまって・・・
私って、本当にどこまでも女王に相応しくない・・・」
「違う、それは違う!」
何故、自分は愛する女性にここまで言わせてしまうのだろう。
アンジェリーク、その名を思い浮かべるだけで、これ程に心が痛むというのに。
「ジュリアス、この腕を放しなさい」
「離さない」
「もう、このような軽率な事は致しません。奥へ戻ります。ですから離しなさい。命令です」
口調は厳しくとも、声も身体も震えているのは何故だ?
振り向かせた瞳には涙が溢れている。
そっと、濡れた頬に唇を寄せた。
「?!」
「そなただけだ。これ程までに私の心を掻き乱す事が出来るのは、そなただけなのだ」
「え?」
「そなたは女王だ。それなのに何故、私を掻き乱す?何故、私はそれを望んでいる?」
愛しい瞳が驚きで見開く。
「私はそなたが愛しくてならない。それ故か?答えてくれ、アンジェリーク」
そっと、薔薇色の唇に口づけた。
そして、今日も青い空を見上げる。
振り返ると、少し歩みを遅らせたアンジェリークがいる。
夏の何処までも青い空は、決別の色ではなくなった。
〜end〜
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このジュリリモ、最高です!!
透き通った空の青さのように、心に染み入る素敵なお話です。
花音さまのサイト「The Soul Cages」で、「ジュリ様バースデー&残暑お見舞い企画」として
フリーになっていたこのお話、速攻でいただきました。
アップは遅くなりましたが・・・(汗)。
こんな素敵なお話をフリーにしてくださるなんて、花音さまは太っ腹です。
花音さまのジュリアス様は、凛々しくて格好よくて本当に素敵なジュリアス様で。
リモちゃんは美しく愛らしいですしvv
花音さま、今回は本当にありがとうございました♪
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