HOWEVER




 ロザリア・デ・カタルヘナ。この宇宙を治める至高の存在である、女王陛下。
 美しく聡明なこの女王には、彼女に負けず劣らず美しく聡明な補佐官がついていた。
 タンポポの綿毛を思わせる柔らかい金色の髪。いつでも生き生きとした光を放っているエメラルド色をした瞳。ありきたりの表現になるが、さくらんぼのような唇。陶磁器のように白く滑らかな肌。
 容姿も美しいが、その心優しさ・周りの人々に元気を与えてくれるその明るさ。良く気も利くし、性格にも非の打ち所が無い。
 少々間が抜けている部分もあるが、それはそれで愛敬があって良い。
 そうロザリアは思っていた。
 ロザリアにとって彼女は愛すべき友人であり、また、可愛い妹のような存在でもあった。
 とにかく、女王陛下ご自慢の補佐官なのであった。
 それなのに…。
「どうして、うちの守護聖達はあんなに可愛い子に見向きもしないのかしら?信じられませんわね」
 女王陛下はほんの少しだけ怒っていた。
 新しい宇宙の女王試験をした時に、守護聖達が当時女王候補であったアンジェリーク・コレットにかかりっきりであったことに対して。
「コレットもそれはそれは可愛らしかったけど、私のあの子も負けない筈ですわっ!!」
 こぶしをグーにして、ロザリアは心の中で主張するのであった。
 ロザリアには心配事があった。自分が女王でなくなった時、可愛い補佐官はどうなってしまうのか?その先の一生を共に過ごしてくれる人が必要なのではないか。あの子は全然そんなことに興味がなさそうだし。早く見つけてあげなければ。
 言い方は悪いが、補佐官馬鹿のロザリアなのであった。
「まあいいわ。別に守護聖にこだわらなくても、あの子の愛らしさにクラクラきてしまう男など、星の数ほど見つけられますもの。最近大きな仕事も無いし、ちょうどいいわ。例の計画を実行に移しましょう」
 そうつぶやくと、補佐官想いの女王陛下は、筆を取って一筆したため始めた。
 物語の始まりである。
 こんなにまで女王に想われている果報者の補佐官の名は…。
 アンジェリーク・リモージュという。


 ある日、謁見の間に集められた守護聖達の前で、ロザリアはこう告げた。
「一週間後、他の宇宙からわたくしのお客様がやってきますわ。皆さん、そういった心積もりでお願いしますわね」
 それから彼女は、意味ありげに女王補佐官を振り返った。
「アンジェリーク」
「何でしょうか、陛下」
 愛くるしい笑顔が答える。
「今回のお客様方の接待の責任者は貴方にお任せしますわ」
「私ですか??」
怪訝そうにアンジェリークが答える。それもその筈、いつも他国からの客人の接待役は、女官長が務めているのである。
怪訝そうな表情もまた可愛い。
などと考える、まさに補佐官馬鹿の女王であった。
「ええ。今回は正式のお客様ではなくて、わたくしのお友達ですもの。わたくしと貴方とでおもてなししようと思って」
「分かりました。後程、打ちあわせの御時間をいただけますか、陛下?」
「謁見が終わった後にしましょうか」
「ええ」
その日から、聡明な女王陛下と優秀な補佐官を筆頭にして、客人を迎える準備が着々と進められたのであった。


そして一週間後。
黒を基調とした軍服を身に纏った5人の男性が、謁見の間に居並んでいた。
ダークグレーの髪と左右の色が違う金銀妖瞳を持つ美丈夫が、5人を代表して女王に挨拶を行う。
「女王陛下。この度は、お招きいただき有り難うございました。我が皇帝より、陛下にくれぐれもよろしくお伝えするように、とのことでした。小官は帝国元帥、オスカー・フォン・ロイエンタールと申します。お見知り置きください」
優雅な物腰で挨拶を終えた美丈夫に、ロザリアもまた、優雅に返答を返す。
「ようこそ、わたくし共の宇宙へ。あなた方はわたくしの大切なお友達ですわ。どうぞこの聖地でごゆっくりとしていって下さいませね」
ロザリアの言葉に、美丈夫は深々と頭を下げ、言葉を紡いだ。
「有り難うございます。では、他の者の紹介を」
「そうですわね。お願い致します」
ロイエンタールの横に控えていた蜂蜜色の髪の青年士官が一歩前に進み出た。活動的な光を放つグレーの瞳は、今にも踊り出しそうだ。
「ロイエンタールと同じく帝国元帥、ウォルフガング・ミッターマイヤーでございます」
続いて、二人の背後に控えていた3人が挨拶をした。
他の4人より少し年齢が上なのだろうか。落ち着いて上品な物腰。立派な口髭を貯えている。
「上級大将のエルネスト・メックリンガーと申します。お会いできて光栄です、陛下」
オレンジ色の髪を持つ、見るからに精悍そうな青年は、
「同じく、フリッツ・ヨーゼフ・ビッテンフェルト」
最後に、5人の中でも一番若いと思われる、砂色の優しげな瞳を持つ青年は、
「同じく上級大将の、ナイトハルト・ミュラーでございます」
5人を嬉しそうに見回して、女王ロザリアは彼らに告げた。
「今、皆様の周りに居りますのが、わたくし共の守護聖ですわ。こちらの宇宙では、ちょうど皆様と同じような位置づけの者たちです。自己紹介等は男性同士で改めて。それからもう一人、皆様にご紹介させていただきたい者が居りますの」
ロザリアは、後ろを振り向いた。今までより、一層艶やかな笑顔と共に。
「アンジェリーク、皆様にご挨拶を」
今まで女王の背後に影のように控えていた人物が、一歩前に進み出た。
「アンジェリーク・リモージュと申します。今回、皆様方のお世話役を仰せつかっております。何かご不便がございましたら、何なりと申しつけ下さい」
「私の優秀な補佐官、アンジェリークですわ」
にこやかに微笑む愛らしい女王補佐官の登場に、客人たちの表情が変わった。
年若いミュラーは赤面して俯いた。ビッテンフェルトは口笛を吹き出しそうな表情になり、メックリンガーは落ち着かなげに口髭をひねった。ミッターマイヤーは賞賛の表情を隠しきれない。
ロイエンタールは落ち着いた表情を崩さないまま、口を開いた。
「陛下。貴方の優秀な補佐官殿に第一に挨拶をするという栄誉を、このロイエンタールにお与えください」
ロザリアが寛容に頷いたのを合図に、ロイエンタールはアンジェリークの側に歩み寄る。
金銀妖瞳の青年提督からの真直ぐな視線に、アンジェリークは俯き、少しだけ頬を赤らめた。
そんなアンジェリークの気持ちを知ってか知らずか、ロイエンタールは彼女の白い手を取り、その甲に口付けた。
「フロイライン・リモージュ。お会いできて光栄です」
 アンジェリークは今度こそ本当に赤くなり、謁見の間の空気は固まった。
 そんな中でロザリアだけが、嬉しそうに意味深な笑いを漏らしていたのだった。


 女官達は、大騒ぎだった。会話は別宇宙からの客人のことで持ちきりである。
「皆様、とっても素敵な方達ね。守護聖様にも引けをとらないわ!」
「メックリンガー提督は上品な感じのナイスミドルだし」
「ビッテンフェルト提督はワイルドで野性的な所が魅力だわ。聖地にはいないタイプよね」
「残念なことに、ミッターマイヤー提督だけは、お国に奥様がいらっしゃるようよ」
「それにしても、ご覧になった?ロイエンタール提督が補佐官様を見つめた時のあのロマンティックな眼差し」
「あら、ミュラー提督だって、それはそれは思わし気な瞳でアンジェリーク様を見つめていらしたわ」
「補佐官様は、同性の私達から見ても素晴らしいお方ですもの。初対面の方でも思わず惹き付けられてしまうのも仕方ないわ」
「本当に」
 騒々しいこと、この上ない。話題は皆が大好きな補佐官にも及び、しかも、更に話が続いて行きそうな盛り上がりである。
「あら、みんな、楽しそうね」
 そこに、噂の的であるアンジェリークが登場した。
「何の話をしていたのかしら?」
「お客人のことですわ。あと、アンジェリーク様のことも」
 アンジェリークの問いに女官の一人が答えると、彼女は驚いたような表情を見せた。
「私のことも?嫌ね、どんな噂をされていたかが心配よ」
 女官達も心は乙女である。興味津々の体で、補佐官に質問を浴びせかけた。
「補佐官様は、お客人の中でどなたが素敵だと思いました?」
「もちろん、ミュラー提督ですわよね?」
「違いますわ。ミッターマイヤー提督ですわよっ!!」
「補佐官様にお似合いなのは、ロイエンタール提督ですわっ!」
「いいえ、メックリンガー提督がお好みですわよね、補佐官様?」
 質問の嵐にもみくちゃにされながら、アンジェリークはやっとの思いでこう言った。
「みなさん、とっても素敵な方だと思うわ。だから、どなたが一番、なんて決められないわね」
 それは、可もなく不可もなく、の、優等生の台詞だったので。女官達は、目に見えてガッカリとした表情になった。
「それはありませんわ、アンジェリーク様〜」
「そうですわ、そんなお答え、あんまりですわ」
「さあさあ、お客様が素晴らしい方達だということは、良く分かりましたから。あの方達に喜んでいただくためにも、今日の晩餐会の準備、しっかりお願いね。陛下からも、よくよく頼まれていますので」
「はい、分かりました!」
 女官達の元気な返事に、アンジェリークは『天使の微笑み』と絶賛される愛らしい笑顔を見せた。
「それでは、よろしくね」
アンジェリークが去った後、晩餐会のためにいそいそと働き出した女官達だが、口も同時に動かすことを忘れはしなかった。
「アンジェリーク様に意中の方がいないのは、残念ね〜」
「本当に」
「あの提督方と補佐官様の遠距離恋愛なんて、とってもロマンティックなのに…」


 命からがら(?)女官達から逃げ出してきたアンジェリークは、そのまま女王執務室に足を運んだ。晩餐会の準備が順調である、ということを、一応ロザリアに伝えておこうと思ったのだ。
「失礼します」
 女王執務室に足を踏み入れたアンジェリークが見たものは。
 女官達と同様、好奇心に瞳をキラキラさせた、女王陛下であった。
「あら、アンジェリーク。どうかして?」
「晩餐会の準備が順調に進んでいることを、お伝えしておこうと思いまして」
「ありがとう。…ところで」
 身構えるアンジェリーク。
「今回のお客人達は、とっても素敵な方達ばかりね。で、あんたはどうなの?気になる人でも見つかったのかしら??」
「んもう、ロザリアまでそんなコト言って!…ナイショですっ!!」
「内緒ということは、気になる人はいるってことかしら??」
「知りませんっ。失礼しましたっっ」
 くるりと背中を向けて、アンジェリークは女王執務室から退散した。
 意中の人、という訳ではないのだが、アンジェリークには気になる男性がいた。
 ロイエンタールである。
(あの方は、どうしてあんなに悲しい瞳をしているのだろうか?)
 気になったのは、恭しく手を取られ、口付けされたからではない。
 アンジェリークは、彼の瞳に引き付けられたのだ。
 深い悲しみを湛えているように見える、その金銀妖瞳に。
(あなたは、どうしてそんなに悲しい瞳をしているのですか?)
 心の中でロイエンタールにそう問いかけ、アンジェリークは一人、溜め息をついた。


 麗しの客人達がやってきてから、数日が経過した。
 客人達をもてなしながら仕事もしなくてはならないので、アンジェリークはいつも以上に忙しい毎日を送っていた。
 そんなある日、ジュリアスの元に書類を届けた帰りに、アンジェリークは蜂蜜色の髪をした提督に、呼び止められた。
「フロイライン・リモージュ!」
「あら、ミッターマイヤー提督。何かご用ですか?」
「貴方と少し、お話させていただきたいのですが…。お忙しそうですね?」
「いいえ。たった今、一仕事終えたばかりです。どうぞ私の執務室においでください」
 アンジェリークは見目爽やかな青年提督を、自身の執務室に招き入れた。
 この数日の触れ合いで、ミッターマイヤーは飾らない性格であり、物事を単刀直入に告げることが出来る長所を持っている。と、アンジェリークは知っているはずだった。
 が、
「フロイライン。あなたは、我が友人・ロイエンタールの事をどう思っておられる?」
 という、いきなりの質問には流石に面食らい、
「とても素敵な方だと思います」
 『誰が一番ステキか』聞かれた時に、女官達に返事をした時のような、優等生回答を返してしまった。
ミッターマイヤーは、苦笑してアンジェリークに語りかける。
「私が聞きたいのは、そのように決まりきった言葉ではないのです、フロイライン。率直な返事を期待していたのですが…」
 アンジェリークは、困惑した。
(この方は、どんな答えを期待していらっしゃるのかしら…?)
 しかしアンジェリークは彼に好意を持っていたので、彼のためにも、今度は素直に答えた。
「とても悲しい瞳をしていらっしゃる方だと思います。深い傷痕が見え隠れするような。ミッターマイヤー提督、私は不思議なんです。あの方は、どうしてあんなに悲しい瞳をしているのですか?」
 ミッターマイヤーは、我が意を得たり、というような表情で、膝を叩いた。
「フロイライン・リモージュ!あなたはやはり、私が見込んだとおり素晴らしい女性だ!!美しいだけでなく、人を見る目もちゃんと持っている」
「そんなっ、大袈裟です」
「今の私の言葉が大袈裟とは思いませんよ」
 それからミッターマイヤーは、表情から笑いを取り除き、衝撃的な事実を口に出した。
「…ロイエンタールは、母親に殺されかけたことがあるのです」
「!?」
 驚きのあまり言葉が出ないアンジェリークに、ミッターマイヤーはそれでも続けた。
「あなたが驚かれるのも、無理はありません。でも、これは事実なのです。あの金銀妖瞳のせいで、彼は母親に殺されそうになったのです」
「だって、あんなに綺麗な瞳なのに……」
「だからです。彼の母親は浮気をしていました。黒い瞳の男性と。青い瞳の父母の間に、黒い瞳と青い瞳を持った赤ん坊…お分かりですね?まだ赤ん坊だった筈のロイエンタールは、覚えています。ナイフを持った美しい母親が、自分の黒い瞳を抉り取ろうとしている様を」
「だって、母親じゃないですか!自分の子は可愛いはずだわ!!」
「ロイエンタールの生きてきた世界は、そのような世界なのです」
 アンジェリークの瞳から、涙が零れた。
「申し訳ありません、フロイライン。この話は、あなたには衝撃的過ぎましたね?」
「いいえ、いいえ。ごめんなさい、ミッターマイヤー提督。泣いているのは驚いたからではないんです。ロイエンタール提督が、お気の毒で…。どんなに辛かったことでしょう。どんなに寂しかったことでしょう」
「フロイライン。あなたは、今までロイエンタールが出会ってきたどの女性とも違う。ロイエンタールも、多分、それを感じている筈です」
 ハンカチを取り出して涙を拭うアンジェリークに、ミッターマイヤーは真剣な眼差しで告げた。
「ここにきて、私は感じました。ロイエンタールは、今まで出会ってきたどの女性よりも、あなたに心惹かれていると。あなたは、優しい春の日差しのような方だ。こんなことを言うのは、図々しいとは百も承知です。でも、どうか言わせていただきたい。ロイエンタールの心を、救ってやってください。多分、それが出来るのは、あなただけです」
「…本当に、私でお力になれるのでしょうか?」
「もちろんです。このウォルフガング・ミッターマイヤーのロイエンタール観察眼は確かです」
 重苦しい雰囲気を払拭しようとしてか、ちょっとおどけたようなミッターマイヤーの言葉に、アンジェリークは涙の残った瞳で、微かに微笑んだ。
「お茶、大変美味しかったですよ、フロイライン。それでは、小官はこれで」
 腰掛けていた椅子から身軽に立ちあがり、ミッターマイヤーはアンジェリークに暇を告げた。
 アンジェリークが、呼び止めた。
「ミッターマイヤー提督、私、お願いがあるんです」
「何です?」
「フロイラインっていう呼び方、照れくさいので、やめていただきたいんです」
「では、何と?」
「アンジェリーク、と呼んでいただいて構いませんわ」
「では、アンジェリーク。私のことは、ウォルフと呼んでください」
「分かりました。そう呼ばせていただきますね、ウォルフ様」
 『ウォルフ様』と自分の名前を呼んで微笑むアンジェリークに、ミッターマイヤーは若き日の彼の妻の面影を見たような気がした。
 赤くなって咳払いをし、ミッターマイヤーは今度こそ本当に、アンジェリークの執務室を退出したのだった。
 補佐官執務室から外に出たミッターマイヤーは、噂をすればなんとやら、で、ロイエンタールに出会った。
「ロイエンタール!」
 快活に声をかけられたロイエンタールはミッターマイヤーを振り向き、皮肉っぽい笑いを見せた。
「卿は顔を赤くして、フロイライン・リモージュの執務室から出てきたな?国に残してきた奥方が見たら、さぞかし嘆かれることだろう」
「それは誤解だぞ、ロイエンタール!フロイラインの笑い方が、若い頃のエヴァにそっくりだったので、ちょっと動揺してしまっただけだ」
 ロイエンタールは、そんなミッターマイヤーの抗議を、一笑に付した。
「ま、そういうことにしておこうか」
「ロイエンタールっ!!」
 カツカツと歩き出すロイエンタールに。
(俺がフロイラインの執務室から出てきたのが、気に食わないんだな。それは、『嫉妬』というんだぞ、ロイエンタール)
 そんな事を思いながらも、ミッターマイヤーはなおも抗議を続けようとして、ロイエンタールを追いかけるのだった。



 ロザリアはロザリアで、アンジェリークに似合いの青年を品定めしようとして、プライベートなお茶会を開いたりしていた。
 プライベート、とはいえ、女王陛下と一緒に飲むお茶は、あまりお茶の味がしないようで。いささか気詰まりそうな提督達を優しく見回して、ロザリアは告げたのだ。
「ちょっと雰囲気が重いですわね。そうですわ!お茶のお替わりと一緒に、誰か共通の知り合いでも呼びましょうか?」
 女王陛下の言葉に、提督達は、自分達と仲の良い守護聖を頭に思い浮かべた。
 ビッテンフェルトは、オスカーとオリヴィエを。
 ミュラーとメックリンガーは、ルヴァとリュミエールを。
 ミッターマイヤーは、ランディを。
 そしてロイエンタールは、クラヴィスを。
 しかし、やってきたのは守護聖ではなかった。
「お待たせしました、陛下。お茶のお替わりを持ってきましたよ。お茶に合わせて、このアンジェリーク特製のシャルロットポワールはいかが?陛下、お好きだったでしょう」
 お茶セットが載った台車を運んできたのは、アンジェリークだったのだ。
軽やかな足取りで女王の居間に入ってきたアンジェリークは、居並ぶ提督を見て、赤くなった。
 それとほぼ同時に、提督達のうちの約半数が、そわそわと落ち着きのない表情になった。
「陛下ったら!皆様方がいらっしゃるならいらっしゃるって言ってくださいっ!陛下お一人だと思って、思わず鼻歌まじりにお部屋に入っちゃったじゃないですか〜。お客様の前で恥ずかしいです」
 泣きそうな顔で抗議するアンジェリーク。そのアンジェリークを宥めるように言葉を発したのは、ミッターマイヤーだった。
「フロ…失礼、アンジェリーク。そんなこと、誰も気にしていませんよ。それより、あなたの入れてくれるお茶を、早く飲ませていただきたいな。この前ご馳走になったお茶は、絶品だったので」
 ロザリアは、瞳の中にほんの少しだけ驚きの色を取り混ぜて、ミッターマイヤーとアンジェリークを交互に見やった。
 それから、ミッターマイヤーの後を引き継ぐように、アンジェリークに言った。
「それに、あんたのケーキは、誰が作った物よりも美味しいわ。さ、アンジェリーク。皆様とわたくしに、あなたの美味しいお茶を飲ませてちょうだいな」

 器用な手付きでカップにお茶を注ぎながら、アンジェリークは提督達に問いかけた。
「皆様がいらしてから、もう一週間が過ぎましたけど、聖地はいかがですか?退屈されているのではありませんか??」
「退屈だなんて、とんでもない!美しく平和なこの地には、勉強させられることが多くあります。私はそれを吸収するので手いっぱいです」
 メックリンガーが言うと、
「メックリンガー提督の言うとおりです。この地は、長い間戦ってばかりいた我々に、安らぎを与えてくれます。願わくば、私共の宇宙も、このように平和になって欲しいものです。我が皇帝のためにも、宇宙で生活している民のためにも」
「そのために、俺達も尽力しなくちゃならん」
 ミュラーとビッテンフェルトが続けた。
「皆様、お勉強熱心でいらっしゃるんですね。それに、とっても優しい心をお持ちだわ。私も皆様と共に、皆様の宇宙がより平和になることを祈らせていただきますね」
 アンジェリークの天使の微笑みに、3人の提督が頬を赤らめてしまった時。
コーヒー党の筈の提督達までが思わず鼻をうごめかしてしまうような、紅茶の良い香りが辺りに漂った。
 温かく湯気が立ち昇るティーカップを皆に配りながら、アンジェリークは微笑んだ。
「さ、お茶が入りました。お口に合うか心配ですが、私が作ったシャルロットポワールもご一緒にいかがですか?陛下は勿論、お召上がりになりますよね??」
 その後、和やかな雰囲気で、お茶会が続けられたのは言うまでもない。



 お茶会終了後。
 ロザリアは、カップの片づけをしているアンジェリークにいきなりの爆弾宣言をした。
「アンジェリーク。良い機会だから、ここで言っておくわ。あんたは、言わないと全然気が付かなそうだし。良いこと?今回の客人達は皆、あんたの花婿候補よ、アンジェリーク」
「ええっ!?」
 オドロキの表情を見せるアンジェリークに、ロザリアは頭を抱えたいような思いで溜め息をついた。
「やっぱり気付いてなかったのね…。まあ、いいわ。とにかく、あんたももう年頃なんだし、恋人の一人や二人はお作りなさい。今日のお茶会で見たところ、あの提督達はほとんど、あんたにクラクラよ。それなのにあんたっら、既婚者の提督と一番仲が良いんですもの。わたくしは、呆れて物も言えないわよ」
「言ってるクセに…」
 唇を尖らせて呟くアンジェリーク。ロザリアは、意地悪く尋ねる。
「何か言った、アンジェリーク?」
「なっ、何でもないわ」
「とにかく!今回の提督達があんたの気に入れば良し。気に入らなければ、他の宇宙からまた、別の人達を呼び寄せるから、そのつもりで」
「そんなっ。いきなり言われても」
 アンジェリークが、動揺している様が手に取るように分かったが。
 ロザリアは、ここが肝心、と、(本人にとっては)厳しくアンジェリークに告げた。
「悠長なコト言ってる場合じゃないわ。あんたには、これから先の人生を共にしてくれる男性が必要なの。守護聖は頼りにならないから、わたくしがあんたに相応しい人物を責任持ってセレクトして差し上げるわ」
 小さく溜め息をついて、アンジェリークはロザリアに笑いかけた。
「…ロザリアったら。強引なところはちっとも変わっていないのね?」
「そうよ。特に、あんたに関することはね」
 偉そうに答えながらも、
(やっぱり、この子は世界一可愛いわっ!!この笑顔を見ると、生きてて良かったと思うもの!)
 心の中で感涙にむせぶ、やっぱり補佐官バカの女王陛下であった。



 女官達の、噂話。
「皆様、お聞きになりまして?今回のお客人方、アンジェリーク様の花婿候補らしいんですのよ!」
「存じていますわ。女王陛下が補佐官様の為だけに、お呼びになったとか。聖地中の噂ですわよね。ところで皆様、これは知ってらっしゃるかしら?ビッテンフェルト提督と補佐官様、ご一緒に遠乗りに出掛けられたらしいの!」
「まあ、素敵!でもあの方が乗馬をなさるなんて、意外ね。武人としてのたしなみなのかしら?」
「オスカー様やランディ様と剣のお稽古もなさっていたわ。なかなか凛々しいお姿だったわ」
「あら、ミュラー提督だって、それはそれは美しい花束をアンジェリーク様に差し上げていたわ。偶然その場を通りかかったんだけど、あの方、とっても純情な方ね」
「あの瞳が、何とも言えなく素敵ですわよね〜」
「そうですわね。あの優しい瞳で見つめられると、思わずドキドキしてしまいますわ」
「メックリンガー提督は、アンジェリーク様の肖像画を描いてプレゼントしたみたいよ」
「あの方、有名な芸術家なんですってね。絵も描けるし、楽器もお上手よ。リュミエール様やルヴァ様と仲良くしてらっしゃるわ」
「でもなんと言っても、ミッターマイヤー提督!アンジェリーク様と一番仲が良くていらっしゃるわ」
「あら、あの方は既婚者ですわよ。補佐官様には似つかわしくないわ」
「ロイエンタール提督もとっても素敵ですけれど。あの方は、あまり補佐官様と親しくしている、という感じはしませんわね」
「あら、でも。アンジェリーク様を見つめる時のあの視線!たまらなくロマンティックだと思いません?」
「そうそう!本当に思わしげで物憂げな眼差しで、補佐官様を見つめていらっしゃるの!!」
「目は口ほどに物を言う。って言いますものね」
 実に恐ろしきは、女の観察眼である。
 噂するだけ噂をして、女官達は口をそろえて付け加えた。
「一体、補佐官様は、どの方をお選びになるのかしら?」



 女官達の噂の的になっているのと時を同じくして、ロイエンタールは、女王陛下お気に入りの美しい補佐官と会話を交わしていた。
「ロイエンタール提督!」
 呼びかけてきたのはアンジェリークの方で。
 ロイエンタールはその明るい声の響きに心を乱されながらも、表面上は落ち着いた様子で、返事を返した。
「フロイライン・リモージュ。私に何か用事でも?」
「あら。何か用事がないと、ロイエンタール提督に話しかけてはいけないんですか?」
 質問を質問で返されて、ロイエンタールは、たじろいだ。
 彼が今まで、ミッターマイヤー以外の人間に対して『たじろぐ』などという感情を感じたことは、ほとんど皆無だったので。そんな自分に、少し驚いていた。
「別に、そんな意味で言った訳では・・・」
 更にたじろぎつつ、弁解に回ったロイエンタールに。
「ふふっ。分かってます。意地悪を言って、ごめんなさい」
 アンジェリークは小さく舌を出して、謝った。
「でも、今回はちゃんと用事があるんですよ。もし、お時間が空いていたら、私と一緒に出掛けていただけません?」
 いきなりの誘いに、答えることのできないロイエンタールの腕を取って。
「はい、決まりです!早速お出かけしましょう!!」
 アンジェリークは元気良く、外出の決定を下したのだった。



 アンジェリークに連れてこられたのは,聖殿が見下ろせる丘の上だった。
 爽やかな風が、ロイエンタールの頬を優しく撫でる。
「気持ちの良い場所でしょう?ロイエンタール提督を、連れてきて差し上げたくて」
 そう言って微笑むアンジェリークを、ロイエンタールは春風のように優しくて暖かく感じた。
 アンジェリークは、レジャーシートのようなものを地面に広げ、ロイエンタールに座るように促す。
二人並んで腰を下ろしたところで、アンジェリークは持っていたバスケットから、小さいポットを取り出した。
「ロイエンタール提督は、本当はコーヒーの方がお好きなんでしょうけど。紅茶を持ってきてしまいました」
 コポコポと子気味の良い音を立てて、香り良い紅茶が、カップに注がれた。
「はい、どうぞ。こういうゆったりとした場所で飲むお茶は、また格別なんですよ?」
 差し出されるカップを受け取って、ロイエンタールはお茶を口にした。
「…なるほど、これは美味い」
「でしょう!お茶請けにクッキーも焼いてきましたので、召し上がってくださいね」
 嬉しそうに微笑むアンジェリークを、ロイエンタールは本当に綺麗だと思った。
 女性にあれこれと世話をやかれることには物慣れなかったが。
 自分が普通の家庭で育っていれば、『母親』はきっと、こんな風に子供の自分に接してくれたのかもしれない。
 それから二人は、取りたてて会話を交わすこともなく、ただ、お茶を飲んだ。
 不思議なことに二人の間のその沈黙は、全然気まずいものではなくて。
 それどころか、妙に心地よく感じられた。
 どれほどの時間、そのように過ごしたのだろうか。
 アンジェリークが、ロイエンタールに
「ロイエンタール提督は、あんまり気を張り過ぎない方が良いですよ?心が疲れてしまいますもの」
 ごくごく自然に、そう告げた。
「私は、そんなに気負っているように見えますか?」
「表面上は、そうは見えませんよね。でも、瞳がとっても辛そうです。初めてあなたとお会いしたときから、私は不思議だったんです。どうしてあなたが、そんなに悲しい瞳の色をしているのか」
「………」
 黙り込んでしまったロイエンタールに、アンジェリークが力強く、続けた。
「過去のことだけに縛られないで。心の扉を開けば、もっと新しい世界が見えてくるはずです。きっと周りの方達も待っていますよ。提督が心を開かれるのを。それを一番望んでいるのは、ウォルフ様です」
 そんな事は、知っていた。友人であるロイエンタールがもっと周りに心を開いてくれたら、と、ミッターマイヤーが願っている事は。
 今のロイエンタールには、そんな分かりきった事実よりも、もっと知りたいことがあった。
 その、もっと知りたいことを知るために、ロイエンタールは今まで出したことがないような勇気を出して、アンジェリークに尋ねた。
「…あなたは?あなたは、それを望んではくれないのですか?」
 出会った時と同じように真っ直ぐなロイエンタールの視線に、アンジェリークは俯く。俯いた後、彼女は顔を上げ、ロイエンタールの金銀妖瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「望んでいます…。あなたが私に、心を開いてくれたら。それは、どんなにか嬉しいことでしょう」
 思いもよらなかった返答に。ロイエンタールの視線が宙を泳いだ。宙を泳いだ視線は再びアンジェリークに戻り。
 ロイエンタールは、風にそよぐアンジェリークの柔らかい金の髪を、ただじっと見つめた。やがて、その金の髪が視界からぼやけて。
「ロイエンタール提督?」
 アンジェリークの問い掛けるような声と共に、頬を、冷たい何かが流れていく感覚がした。
 その頬に触れてみて、ロイエンタールは驚く。
 それは、彼の瞳から零れ落ちる涙だったのだ。
「泣かないでください、ロイエンタール提督」
「………」
「泣かないで…」
 ロイエンタールの髪に、アンジェリークの柔らかな指が優しく触れた瞬間。ロイエンタールは、どうしようもなく、自分の心が癒されていくのが分かった。
「フロイライン。しばらくそのまま…」
 子供をあやすような手つきで、アンジェリークがロイエンタールの頭を撫でる。
「泣かないで…、オスカー」
 華奢に見えるアンジェリークの肩に、ロイエンタールは自身の頭をもたせかけて。まるで子供のように、泣いたのだった。

 気が付いた時。
 ロイエンタールはアンジェリークの膝の上で自分が寝ていた、という事実に驚愕した。
 おまけに、いつの間にやら辺りは夕焼け色に染まっていて。
「フロイライン・リモージュ。無礼をお許しください」
 ロイエンタールは慌ててその膝から頭を起こし、アンジェリークに謝罪した。
「いいえ。気にしてません。それより、よくお休みになれました?」
「…はい」
 穴があったら入りたいような気分であったが、それと同時に、気分は爽快だった。泣くだけ泣いて、心の中の重たい部分が全て取り除かれてしまったのかも知れない。
 アンジェリークは優しく笑って、
「ロイエンタール提督って、案外子供のようなところがあって、可愛いですね」
 そう、感想を述べた。
 アンジェリークの前で恥ずかしげもなく泣いてしまった、という事実が更にロイエンタールを狼狽させたが。
 春風のように優しい笑顔はロイエンタールを優しく包み込み。ロイエンタールは改めて、アンジェリークを好きだ、と思った。
「さ、もう遅いですし、帰りましょうか」
 そう言って帰り支度を始めるアンジェリークの手を、ロイエンタールは取った。
「フロイライン・リモージュ」
 ロイエンタールの真剣な眼差しに、何かを待つような気持ちで、アンジェリークは次の言葉を待った。
「あなたを、好きになっても、良いだろうか?」
 一言一言。確かめるように。ロイエンタールは言葉を発した。人生の中で最大の勇気を絞り出しているな、と思いながら。
 裁判の判決を待つ者のような気分で返事を待つロイエンタールに、アンジェリークは華のような笑顔を見せた。
「ロイエンタール提督?好きになってくださるなら、私のコトは『アンジェリーク』と呼んでいただかないと、嫌ですよ??」
 冗談めかしてそう告げたアンジェリークの笑顔が眩しくて。
 この返事は『OK』の返事である、とは思ったが、ロイエンタールは再度確認を取らずにはいられなかった。
「それは、私があなたを好きになっても良い、という意味にとっても大丈夫なのだろうか?」
 暫しの沈黙の後、
「…はい」
 今度は真面目に答えたアンジェリークに向かって。
 ロイエンタールは跪き、自分の手の中に収まっていた美しい彼女の手に、恭しくキスをした。
「アンジェリーク。私の、天使」
「ロイエンタール提督!天使だなんて、大げさです」
「いや、私にとっては天使のように思える」
「それなら提督は、私にとって大天使長様??」 
 二人は顔を見合わせて、クスリ、と笑った。
「では、帰ろうか」
「はい、ロイエンタール提督!」
「私のことは、オスカー、と。敬称なしでお願いしたい」
「分かりました。…オスカー?」
 敬称なしでロイエンタールのファーストネームを呼んで、アンジェリークは仄かに赤くなった。
「なんだか、照れちゃいます」
「早く慣れて欲しいものだが」
「ロイ…じゃなくて、オスカーも、敬語はなしにして下さいね?私、知ってるんですから。ウォルフ様とお話する時は、一人称は『俺』だってコト」
「…分かった」

 夕日が作った二つの影法師が、ゆっくりと動き出した。
 仲良く並んで動いて行くその二つの影は、だんだんと距離を狭めてゆき…。
 やがて、一つに重なったのだった。



 オスカー・フォン・ロイエンタール。
 何時でも物憂げな光をその美しい金銀妖瞳に映していた、帝国きっての美男子のその瞳から、憂鬱な光は影を潜める。
 今、彼の瞳に浮かぶのは、穏やかな喜びの光。
 空の色を映したような青、漆黒の闇のような黒。左右色の違う両の瞳には、ふわふわした金の髪とエメラルド色の瞳を持った、美しいただ一人の女性だけが。
 眩しく映っていたのだった。



〜 FIN 〜





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