milky way
それはそれは、星の美しい晩だった。
安らぎを司る闇の守護聖は彼にしては珍しく、執務室の窓を開け放って、一人、星空を見つめていた。
あまりにも星が美しいので。
クラヴィスは、本当に滅多にない事だが、誰かと一緒にこの星を愛でたくなった。
誰か、と思った時に脳裏に浮かんだのは、ふわふわした金の髪。くるくると良く動く、若草色の瞳を持った女王候補。
『クラヴィス様!』
彼女はクラヴィスの無彩色の生活に、忘れかけていた彩りを与えてくれる、貴重な存在だった。
泣いたり笑ったり怒ったり、そうかと思うとしょげてしまったりと、とにかく感情表現の豊かな彼女に想いを馳せ、
(あれなら、私と共にこの星夜を愛でてくれるだろう)
そう思ったクラヴィスはおもむろに立ち上がり、女王候補寮へと向かったのだった。
しかし、当たり前のようだが、時間帯はもう夜である。
女王候補寮の玄関は閉じられていて。二人の女王候補の部屋には、それぞれピンクとブルーのカーテンがかけられていた。
ただ部屋の中が明るいので、まだアンジェリーク達が起きている事だけは辛うじて知る事が出来る。
(…………)
クラヴィスは、途方に暮れた。
こんな時ゼフェルなら小石か何かをアンジェリークの窓にあてて、彼女に自分の存在を知らしめる事ができただろう。
だがクラヴィスはクラヴィスであって、ゼフェルではない。
そんな機転を利かせることは出来ず、かといって、こんな夜にアンジェリークの部屋まで乗り込んで行くというのも気が引けた。
(………………………)
少し読みが甘かったかも知れないと思い、クラヴィスは考え込んだまま、アンジェリークの窓の下に立つことしか出来なかった。
その時。
カチャリ。
不意に窓が開く音に、クラヴィスは思わず頭上を振り仰ぐ。
開いた窓から金の髪の女王候補が頭を出した。クラヴィスに観察されていることも知らずに。
彼女は夜空の見上げて。
「今日は本当に、すごいお星様…」
そのままうっとりと星を眺めていた彼女だったが、しばらくの後、その視線が動いた。前方へ、そして、下へ。
何気なく動かした視線の先にクラヴィスの姿を認めたアンジェリークは、夜空の月と同じぐらいに丸く目を見開いた。
その驚き様があまりにも彼女らしかったので、
「ふっ…」
思わずクラヴィスは、口元を綻ばせた。
アンジェリークは『笑われちゃった(汗)』と思ったに違いない。何しろ、彼女はひらひらフリルのパジャマ姿だったのだから。
開いていた窓が慌てて閉じられ、何やらバタバタと音がして。
数分後、女王候補寮の正面玄関がそーっと開いた。
「クラヴィス様、こんなところで何をなさってるんですか?」
ゆったりとしたワンピース姿に変身したアンジェリークが、クラヴィスの前に姿を現した。口調が拗ね気味なのは、先刻クラヴィスにパジャマ姿を見られてしまったことに対する抗議らしい。
そんな様も本当にアンジェリークらしくて。
「く…くくくっ」
笑い出したクラヴィスを、アンジェリークは恨めし気に見やった。
「クラヴィス様、ひどいです〜。なんでそんなに笑うんですか?私をからかうためにだけにここに来たっておっしゃるのなら、クラヴィス様は暇人で、夜に女王候補寮まで来て、星を眺める女王候補を見て笑ってたって、ジュリアス様に言い付けちゃいますよ!」
口調まで恨めし気だ。
まだ笑っていたい気もしたが、あまり彼女の機嫌を損ねたくなかったので、クラヴィスはようやく笑いを収めた。
そして、いささか真面目な表情になって、金の髪の女王候補に訪問の目的を告げたのだった。
「…これから私と共に出掛けてはくれぬか?もちろん、帰りは責任を持って寮までおまえを送り届けよう」
そして現在。二人は一緒に夜の星空を見上げている。
何かを話すでもなく、ただ無言で。無言ではあったが、二人の間の空気は、とても居心地の良い空間になっていた。
森の湖の奥の花畑。先日ここに連れてきた時、アンジェリークが瞳を輝かせて喜ぶ様を見て、もう一度連れてこようと思っていたのだ。
(思いもよらず、早い機会に連れてくる事になったがな…)
クラヴィスはそう思い、小さく笑いを漏らした後、隣にいるアンジェリークに視線を移した。
月明かりの下で見る彼女は、日頃とは違う印象をクラヴィスに与える。
いつも燦然と輝いている金の髪は、プラチナの輝きを帯びてやわらかく光を放っている。血色の良い頬も、いつもよりいささか白味を帯びて見えた。
表情までもが、少し大人びて感じられる。
太陽の光が良く似合う少女。
クラヴィスはアンジェリークにそういう感想を抱いていたが、存外に、自分の好きな月の光も彼女の魅力を引き立ててくれる事を知って、嬉しく感じた。
「…クラヴィス様」
物思いにふけるクラヴィスに、アンジェリークが声をかけた。
「クラヴィス様、流れ星です!」
アンジェリークが指差す方向に、クラヴィスは目を向けた。
視線の先を、星が、流れていく。一つ、二つと。
アンジェリークが悲鳴のような声を上げて、クラヴィスを急かした。
「折角の機会ですから、早くお願い事をしてください、クラヴィス様。早くっ!!」
それから両手を胸の前に組み、アンジェリークは自身でも何やらごにょごにょと口の中で唱えた。
アンジェリークの勢いに押されたように、クラヴィスは自分の願いを言葉にしようとした。
が、結局、出来なかった。
自分の願いは、叶うことはない。多分、永遠に…。
そう、思ったのだ。
だからアンジェリークから、
「何をお願いしましたか?」
と嬉しそうに聞かれた時、思わず言葉に詰まってしまった。
が、アンジェリークが小犬のように瞳をワクワクさせて自分の返答を待っているのを見ると、つい正直に答えてしまうのだった。
「私の願いは、多分、一生叶わない。叶わないと分かっている願い事をしても、何にもなるまい」
その答えを聞いたアンジェリークが悲しそうな表情になるのを見て、クラヴィスは慌てて付け加えた。
「おまえは一体、何を願ったのだ」
「『クラヴィス様のお願い事が叶いますように。』そう、願いました」
「私の願いが叶うように?おまえは、自分の幸せを願わずに、この私の事を願ったというのか?…全く」
クラヴィスは、またもや微笑してしまった。
そして、彼女のこんな部分に自分がどうしようもなく惹かれている、という事実を再認識する。
自分の事よりもまず、他人を気遣うその優しさに。
アンジェリークはクラヴィスの微笑を見て、馬鹿にされていると思ったらしい。
「何がおかしいんですか?クラヴィス様が時々とても悲しい瞳をなさるから…。そんなクラヴィス様を見ていると、私も辛くなるから。だから、クラヴィス様のお願い事が叶うように願ったのに、どうして人事みたいに笑ったりするんですか!?」
涙目で訴えるアンジェリークに、クラヴィスは戸惑いの表情を見せ、素直に謝った。
「…私が悪かった。だが、可笑しくて笑った訳ではないのだ。自分の事より他人のことを気遣う優しさが、おまえらしいと思って…な」
「………」
アンジェリークは、機嫌を直したようだった。
そしてちょっとだけ微笑んでから、真剣な表情で、クラヴィスに告げた。
「クラヴィス様、願いが叶わないなんて思ってはダメです。人は誰でも、幸せになる資格を持っているんですから。クラヴィス様はご自分が幸福と縁遠いと思ってらっしゃるようですけれども…それは間違いなんですよ」
アンジェリークの白い手が、優しくクラヴィスの頬に触れた。
柔らかな風が、二人の間を流れて。
アンジェリークの金の髪がふわふわと揺れる様子を、クラヴィスはじっと見つめた。
溢れ出しそうな想いが、風に攫われてしまいそうで。
クラヴィスは俯き、自分の頬に触れているアンジェリークの手を取って、その甲に口付けた。
「私の願いは……アンジェリーク、おまえにしか叶えることができない」
俯いたまま、クラヴィスは呟いた。
アンジェリークが、自分をじっと見つめているのが分かる。
拒絶の言葉が怖くて。クラヴィスはその先を言うことが出来ない。
「クラヴィス様…」
自分の名前を呼ぶアンジェリークの声は、優しい。
踏み出すことをためらっているクラヴィスを、勇気付けるかのように。
クラヴィスは、顔を上げた。
アンジェリークの翡翠色の瞳が、真直ぐにクラヴィスの瞳を捕らえて離さない。
その瞳を見つめ返しながら、クラヴィスはたった一つの願いを口に出した。
「ずっと私の側にいて、私に光を与えて欲しい…」
アンジェリークはふんわりと微笑み、自分の手を握っているクラヴィスの手に、もう一方の手を優しく重ねた。
「…私で良いのなら。喜んで」
その背中に、白く輝く翼が見えるような気がして。
−クラヴィスは、自分だけの天使を手に入れたのだ。
「アンジェリーク…」
名前を呼んで、クラヴィスは彼女の身体を抱き寄せた。
降りそそぐ星に抱かれる……二人。
月明かりの下、クラヴィスは誓うのだった。
(もう、離さない…)
―――物語の続きは、貴方の心の中で―――
〜 END 〜
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