Birthday




「クラヴィス様!」
 明るく透き通った声と。
「育成をお願いします」
 暖かい春の日差しのような笑顔に。
 ふと、思い出してしまった。
 もうすぐ、自分が誕生日を迎える、ということを。

 そして、無邪気で幼かった日々の、ある一場面をも思い出す。
『母上。もうすぐ、私の誕生日です!』
『そうね、クラヴィス。母様はちゃんと覚えていますよ。大事な大事な、あなたのお誕生日。お食事は何が食べたいのかしら?』
『何でも!私は母上の作ってくれる物は、何だって大好きです』
 膝にまとわりつく私に、母は言ったのだ。小鳥がさえずるような軽やかな声で。
『ふふっ。そう言ってもらうと、母様、嬉しいわ。ね、クラヴィス。お誕生日を思い出す、ということ。それは、祝って欲しい誰かがいる、という、とても幸せなことよ。分かるかしら?』
『はい。母上にお祝いしてもらうこと。それは私にとって、とても嬉しいことです』
 私の返答を聞いて、母の頬に柔らかい笑顔が浮かんだ。
 母のたおやかな手が、私の頭を優しく撫でてくれる。その暖かい感触に、私は母の膝に顔を埋めた。
『クラヴィス。今日、母様が言ったこと、忘れないで。いつか母様は、あなたのためにお誕生日を祝うことが出来なくなるかも知れない。そうなった時も、母様は願っています。あなたに祝って欲しい誰かがいること。あなたが自分のお誕生日を思い出せること。忘れないでね、クラヴィス』
 頭上から、母の優しい声が降り注いでくるのを、私は心地よく聞いていた。
 私の誕生日。決してご馳走とは言えないが、心のこもった美味しい料理。年齢分のロウソクを灯したケーキ。そして、母の暖かい笑顔。
 その年が、最後だった。
 母は、気付いていたのかも知れない。女性特有の鋭い感覚で。母親だけが持っている、我が子に対する直感で。
 間もなく、自分の息子が守護聖に選出される、ということを。

「クラヴィス様?」
 物を問うように名前を呼ばれて、私は現実の世界に引き戻される。
「大丈夫ですか?お顔の色があまり良くないみたいです」
 心配そうに覗き込んでくる翡翠色の瞳に、心の中を読み取られてしまいそうな。
 そんな錯覚に襲われた。
「…おまえの望みは育成だったな。覚えておく」
 必要最低限の事だけを告げ、金の髪の女王候補に、私は身振りで退出を促した。


 『誕生日』など、もう長い間、思い出しもしなかった。
 聖地に来たばかりの頃は、割と楽しみにしていた筈だったが。
 何時の間にか『誕生日』という特別な日は、私にとって何の意味もない味気ないものへと姿を変えてしまったのだ。
 周りの者から『おめでとうございます』の一言を言われて、ようやく思い出すような。そんな、どうでも良いものに。
『お誕生日を思い出す、ということ。それは、祝って欲しい誰かがいる、という、とても幸せなことよ』
 母の言葉が、頭の中でリピートされた。
 祝って欲しい誰か。それは今の私にとって、あの金の髪の女王候補に他ならなかった。
アンジェリーク、という名前を持った、天使のような少女。
 だが、それが分かっても詮の無い事だ。
 春の日差しのように優しい笑顔を持ち、太陽の光のように眩しいその少女に、私の誕生日を祝って欲しいと願ったところで、それが実現されるとは到底思えなかった。
 彼女の笑顔は、あまりにも眩しすぎて。
 私は、意識して彼女を遠ざけていたのだから。
 それでも毎日のように私の元に通ってくる彼女を、私は不思議に思っていたものだった。

 今日もアンジェリークは私の執務室にやって来て。他の誰に話しても良いような事を、嬉々として喋って帰って行った。
 誰からも愛される、本当に天使のような、可愛いアンジェリーク。

 気がつけば、私は明日、誕生日を迎えようとしていた。


 翌朝。私はいつものように目覚め、いつものように執務に出る準備をする。
 身の回りの世話をしてくれる執事が、にこやかに笑いながら言った。
「クラヴィス様、おめでとうございます。今日はお誕生日ですな」
 そう。今日は私の誕生日。
 私にとって、何の意味も持たない日だ。
 私の沈黙をどのように受け取ったのかは知らないが、執事は感慨深げに続けた。
「クラヴィス様が年々ご立派になられていかれるのが、わたくしには嬉しゅうございます」
 そうだ。この執事と館の者たちは、毎年私の誕生日を祝ってくれる。
 多分、彼らなりの愛情を込めて。
 だがその事に対してそれほど嬉しい、という感情を抱かない私を、彼らはどのように感じているのだろう。
 そんな自分に嫌悪を感じながら。
「出掛けてくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
 私は、聖殿に出仕したのだった。

 執務室の廊下の前では、リュミエールが私を待っていた。
「お誕生日おめでとうございます、クラヴィス様。朝一番に申し上げたかったので、こうしてお待ちしておりました」
「…おまえも物好きだな。わざわざ私の誕生日とやらを祝いに、こうして朝から執務室の前で待っているなど、無駄な事を。もっと有意義な事に、その時間を使えば良かろう」
 独り言のように呟いた私に、リュミエールはやんわりと反論してきた。
「わたくしは、そうは思いません。クラヴィス様が無駄だとお思いになっても、大切な方の誕生日を祝う、という事。それは、わたくしにとって、大変に有意義な事なのです」
 リュミエールは、私に向かって穏やかに一礼した。
「今日という日がクラヴィス様にとって最高の一日となるように、祈っております」
 意味深な笑いを残して、リュミエールは物腰も柔らかに、自身の執務室へと姿を消した。


 いつもなら、とっくに姿を見せる時間になっても、アンジェリークは私の前に現れなかった。
 自分で意識してアンジェリークを遠ざけるような素振りばかり見せてきたにも拘わらず、彼女の姿を見ないと落ち着かない自分に、私は驚いた。
 彼女に会いたい。
 そう思うと、いてもたってもいられなくなり、私は執務室から外へ出て行こうとした。
 その時。
「失礼しまーす!」
 その明るい声の持ち主は、アンジェリーク、だった。
 瞬間、私は自分の心がホッとすることに、戸惑いを覚える。
 薄暗い筈の執務室が、パッと明るくなるような、そんな瞬間。
 執務室の中に私の姿を認めた途端、アンジェリークは第二声を発した。
「クラヴィス様、私と一緒に来てください」
 返答も待たずにアンジェリークは私に歩み寄り、私の腕を取った。
「さ、行きましょう!」
 もし嫌なら、振り払う事も出来た筈だ。
 だが私は、彼女に誘われるままに、執務室を後にしたのだった。

 連れて行かれたのは、聖殿の中にある、小さなパーティーホールだった。
「はいっ、到着です」
 アンジェリークが嬉しそうに微笑んで、私に言った。
「クラヴィス様、このドアを開けてください」
「…?」
「さ、早く、早く!」
 恐る恐るドアを開くと。
「おめでとうございまーす!!」
「おめでとうっ!」
 幾つもの祝福の言葉と共に、クラッカーが大きな音を立てて。
 私とアンジェリークの頭上に、色とりどりの紙ふぶきが舞った。
 私は、ポカンとして、その場に立ち尽くす。
「クラヴィス様、おめでとうございます。一同、心よりお祝い申し上げます」
「クラヴィス、おめでとっ。なーに、ぼんやりしてるの?さ、せっかくの誕生日なんだから、笑って笑って!」
 オスカーとオリヴィエに背中を押されて、私は半ば呆然としたまま、ホールの中央に連れて行かれた。
 アンジェリークに、ロザリア。守護聖が勢ぞろいしている。
「クラヴィス様、お誕生日おめでとうございます。アンジェリークの提案で、みんなでクラヴィス様のお誕生会を開くことにしましたのよ」
 ロザリアに、カスミソウが主体の、小さなブーケを渡された。
 中央のテーブルには、年齢分ではないが、ロウソクが立っているケーキ。色とりどりの菓子。
 そして、皆の笑顔があった。
「クラヴィス様、驚かれましたでしょう?」
 リュミエールが瞳に笑いを湛えて、私に問い掛けた。
「…おまえは、知っていたのだな?」
「はい。言いたくてたまらなかったのですが、クラヴィス様に驚いていただきたくて」
「おまえの望みどおり、驚いたぞ」
「おっさん!早くアンジェリークが作ったケーキが食いたいだろ?とっとと主賓の席に着けよな!」
「こら、ゼフェル!クラヴィス様に対しておっさんなんて、失礼だぞ!?」
「そうだよ。大体、ケーキを早く食べたいのは、ゼフェルの方でしょ?甘いものが嫌いなくせに、アンジェリークのケーキなら食べられるんだ?」
「うっ、うるせーっ!!」
 にぎやかなこと、この上ない。
 気が付けば、ジュリアスが私の側近くにやって来ていて。
「おめでとう」
 あまり大きくない紙袋を、私に手渡した。
「…ジュリアス。おまえに誕生日を祝ってもらえるとは、思わなかった」
「アンジェリークが五月蝿くせっつくのでな。その中身は、おまえの好きなコーヒー豆を主星から取り寄せたのだぞ。心して飲むが良い」
 ジュリアスが、そっぽを向く。
 心が和む、温かい空間が、そこにはあった。
「くっ、くくくく…」
 心の底から笑いがこみ上げてきて。
「はははっ」
 思わず、ランディ並みのサワヤカな笑い方をしてしまった私に。
「クラヴィス?一体、どうしたんですか〜?」
 ルヴァが心配そうに声をかけてきた。
 無理もない。私だって、驚いている。
 こんなに声を出して笑ったことなど、絶えて久しかったのだから。
「何でもない。こんなに楽しい思いをするのは、久しぶりだと思ってな」
 アンジェリークがやってきて、私を主賓の席に連れていった。
「お誕生日おめでとうございます、クラヴィス様!」
 ロウソクに、火が灯される。
「さ、クラヴィス様。お願い事を考えながら、火を消してくださいね!」
 『誕生日を祝って欲しい誰か』が、隣で微笑んでいる。私の誕生日を祝って。 
 この幸せな瞬間が、永遠に続くように。
 そう願いながら、私はロウソクの火を、一気に吹き消した。
 母のやさしい笑顔は、もう二度と戻ってこないけれど。
 周りの皆の暖かい笑顔、アンジェリークの柔らかい微笑み。
 私は、幸せな誕生日の一時を過ごしたのだった。


 私邸に帰った私が、執事から渡されたものは、小さなプレゼントの箱。
 中に入っていたのは、フローティングキャンドルのセットと、愛らしいピンクのメッセージカード。
 カードには、短く文章が書かれていた。

 今日がクラヴィス様にとって、最高の一日であったことを願います。
 お誕生日おめでとうございます、私の大好きなクラヴィス様!!



〜 END 〜







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