ANGEL'S TALE @
謁見の間の。
重い扉が、静かに開かれる。
「これより、女王試験を行います」
厳かに響く、女王の声。
私は、開かれた扉に視線を向ける。
扉の向こう側から現れたのは、二人の女王候補。
青い瞳の、優雅な物腰の少女。
金の髪を持つ、少し、頼りなさげな少女。
・・・金の髪の少女と視線が合った時。
彼女は、困ったように私に微笑んで見せた。
その背中に、うっすらと見えたのは・・・。
真っ白な、天使の羽。
女王試験を行うために作られた「飛空都市」。
静かな聖地からこの地に移ってからというもの、クラヴィスの辞書に「平穏」や「静寂」という文字は消えてなくなった。
ジュリアスの小言は増え、他の守護聖たちもソワソワと落ち着かない。
それもこれも、全ては女王候補達の所為である、と、クラヴィスは思っていた。
今日もクラヴィスの平和な生活を乱しに、女王候補がやってくる。
「クラヴィス様、こんにちわ!」
ニコニコと微笑む少女。
眩しい、金の髪。
「・・・・・・」
クラヴィスは思わず、瞳を伏せた。
無言のままのクラヴィスに構うことなく、金の髪の女王候補は執務机に迫ってくる。
「今日は、育成のお願いに来ましたv」
屈託なく笑うその笑顔に。
今はもう遠くなってしまった過去の記憶が甦り、クラヴィスは不機嫌そうに眉を寄せる。
「・・・覚えておこう」
「ありがとうございます!」
これで用事は終わったはずなのに、女王候補はなおもニコニコとクラヴィスに笑いかける。
何か話しかけないといけないような気持ちになり、クラヴィスは重い口を開いた。
「何か、他に用か・・・?」
女王候補の若草色の瞳が、優しく輝く。
「リュミエール様から、お使いを頼まれて。今日のお茶会、是非いらしてください、って仰ってましたよ」
優しい光しか映さない、その澄んだ瞳に。
心がすっと軽くなったような気がして、ハッとする。
そしてクラヴィスは、またもや不機嫌そうに長い黒髪を揺らした。
「・・・考えておく」
「私たちも、お待ちしてますから!」
結局、一度も笑顔を絶やさずに。
女王候補は軽やかにクラヴィスの執務室を退室して行った。
執務室の空気が、少し暖かくなったような。
そんな気がしたが。
(何を馬鹿なことを・・・)
クラヴィスは頭を軽く振って、その気持ちを頭の中から追い出した。
彼は、女王候補に興味を持つ気は全くなかった。
ただあの金の髪と明るい笑顔は・・・クラヴィスに、過去の記憶を思い出させる。
暖かく、ただ、幸せだった時間。
心の中に残る痛み。
過去の痛みは、クラヴィスの心を固く閉ざしたままだった。
今でも。
・・・同じ轍は二度と踏まない。
クラヴィスは、まだ瞼の裏に残っている女王候補の面影から、そっと目を逸らした。
聖地では時折、リュミエールやルヴァ、オリヴィエなどが主催の茶会が開かれていた。
この飛空都市に移って来てからも、その風習は変わらず。
今日もどうやら、リュミエールの茶会が開かれるようだった。
クラヴィスは大勢の守護聖が集まるこの会には殆ど出席したことがなかったが。
『私たちも、お待ちしてますから!』
弾むような笑顔が脳裏に浮かぶ。
(久々に、顔でも出すか・・・)
クラヴィスはそう思い。
重いローブを引きずりながら、聖殿の中庭へと足を運んだ。
茶会は、丁度始まったばかりのようで。
突然現れたクラヴィスに、集まっていた守護聖達は様々な反応を示す。
「クラヴィス様。ようこそおいでくださいました」
リュミエールが穏やかに微笑みながら、軽く会釈をした。
ルヴァがニコニコとクラヴィスに近付いてくる。
「おやおや〜。クラヴィスがお茶会に出てくるなんて、久し振りで嬉しいですねぇ。そうでしょう、オリヴィエ?」
「ホントだね。楽しんで行ってよ、クラヴィス!」
オリヴィエのウインクに、クラヴィスは思わずたじろぐ。
「こんにちわ、クラヴィス様!」
元気良く挨拶をしてくるのはランディだ。
その場にいる面々はそれだけで。
クラヴィスの視線が、誰かを探すように宙を泳いだ。
そんなクラヴィスの様子を敏感に感じ取ったのか、リュミエールがカップにお茶を注ぎながらクラヴィスに注げた。
「マルセルと女王候補の二人は、お茶菓子を取りに行っております」
リュミエールが言い終わるか終わらないかのうちに。
「お待たせしました!」
パタパタという複数の足音と共に、マルセルと女王候補が現れた。
「わたくし達特製の、チェリーパイですわ」
青い瞳の女王候補が誇らしげに言い、持っていた籠から美味しそうなパイを取り出して見せた。
「美味しそうだ!」
ランディがキラキラと瞳を輝かせた。
「リュミちゃん、早く切り分けてちょうだいv」
「少々お待ちくださいね」
金の髪の少女の瞳が、クラヴィスを見て嬉しそうに瞬く。
人懐こそうにクラヴィスの側に近付き、彼女はやっぱりニッコリと微笑んだ。
「こんにちわ、クラヴィス様。来てくださったんですね?」
「・・・気が向いただけだ・・・」
「嬉しいです!」
自分が茶会に来ただけで、どうしてそんなに喜ぶのか。
訊ねようとして開いた唇を、クラヴィスは慌てて閉じた。
(聞いてどうなるというのだ?私は、何かを期待しているのか?)
ムッとした表情で黙り込んでしまったクラヴィスを、金の髪の女王候補が不思議そうに見つめる。
その視線が、何故か苦しかった。
どうしてこんな気持ちになるのか分からないまま、クラヴィスは逃げるようにリュミエールの側に席を移したが、彼女はなおも微笑みながらクラヴィスについてくる。
会の間中、クラヴィスは落ち着かない気持ちだった。
だがその気持ちは、不快なものではなく。
気が付くと、茶会の後に女王候補を寮まで送り届けている自分に愕然とする。
「クラヴィス様、今日はとっても楽しかったです」
小首を傾げて微笑む女王候補の後姿に、クラヴィスはまた、天使の羽を見つける。
じっとその後姿を見送るクラヴィスを。
フワフワとした金の髪を持つ女王候補は、一度だけ振り返って、微笑んだ。
(本当に天使がいれば、こんな風に微笑むのかも知れない)
その微笑みは、どこまでも優しかった。
金の髪の女王候補は、何となく頼りなさそうな外見とは裏腹に、非常に押しの強い少女だった。
彼女にニコニコと微笑みかけられると、何故か言う事を聞いてしまう。
その押しの強い微笑みにより、クラヴィスは何度か、真昼の公園に連れ出されたりした。
『こんな暗い執務室に閉じこもってたら、具合が悪くなります!さっ、お外に行きましょう!!』
などと訳の分からない主張と共に、彼女はニコリと微笑む。
『・・・・・・』
聞こえなかったような振りをして黙っていると、彼女はクラヴィスにずいっと迫り、黒いローブを引っ張った。
『はい、出かけましょうねv』
渋々と立ち上がるクラヴィスだったが。
嫌な気がしないのが不思議だった。
そんなこんなで。
今日もクラヴィスは、金の髪の女王候補と共に、真昼の公園に姿を現していた。
クラヴィス様が、真昼の公園に!?
という周りの反応にもいい加減に慣れてしまったクラヴィスであったが。
クラヴィスの隣で楽しそうに微笑む女王候補には、未だに慣れることができない。
彼女と一緒にいると、何とも形容しがたい気持ちになる。
しかも、毎回毎回、その形容しがたい気持ちの種類が変わる。
遥か昔にも。
クラヴィスに、そんな想いを抱かせた女性がいたこと。
そんなことを思い出す。
アンジェリーク。
同じ名前を持つ、過去と現在の金の髪女王候補。
しかし、二人のアンジェリークの持つイメージは全く違う、という事に、クラヴィスは今更ながらに気付く。
クラヴィスの思い出の中のアンジェリーク。
彼女の髪は、月の光を溶かしたようなプラチナブロンドだった。
その髪は、サラリ、と流れるように風に揺れていたが。
今、クラヴィスの目の前にいるアンジェリークの髪は・・・太陽の光を溶かし込んだようなハニーブロンド。
少々癖があり、ふわり、と柔らかく風に揺れる。
二人のアンジェリークは、性格もまた違っていた。
無邪気な中にもどこか大人びた雰囲気を持っていたアンジェリークと違い、このアンジェリークは、本当に子供のように純真だ。
そんな事を考えながら、じっと金の髪の女王候補を見つめると。
彼女の若草色の瞳が、クラヴィスを不思議そうに見返してきた。
その瞳の中には、一点の曇りもなく。
ただ未来だけを見つめるその瞳を、クラヴィスは美しいと思った。
「・・・アンジェリーク」
初めて、名前を呼ぶと。
零れ落ちそうなぐらいに瞳を見開いて、アンジェリークはクラヴィスをじっと見つめた。
「クラヴィス様?今、私のコト、名前で呼んでくださいました??」
その素直な驚きように、クラヴィスは思わず、笑いを漏らしてしまう。
アンジェリークの瞳が、ますます大きく見開かれた。
「クラヴィス様??」
「・・・お前は、なかなか面白い」
「それって・・・どういう意味に受け取ったら良いんでしょうか?」
ぷうっと頬をふくらませて、アンジェリークが訊ねた。
どうやら、馬鹿にされていると思ったらしい。
「褒めているつもりだが・・・」
クラヴィスがボソリとそう呟くと。
アンジェリークは疑わしげな瞳でクラヴィスを上目遣いに見上げた。
「本当ですか?」
「本当だ」
真面目な顔で答えると、アンジェリークの表情がパッと輝いた。
「それなら嬉しいです!」
そしてアンジェリークは、悪戯っぽく笑って言った。
「それにしても・・・クラヴィス様の笑う顔、初めて見たような気がしますv」
確かに・・・クラヴィスは今まで、アンジェリークに笑顔を見せたことがなかった。
「別に、責めてる訳じゃありませんよ?ただ、嬉しかっただけです」
その言葉に。
クラヴィスはアンジェリークを見つめたまま、再度。
微笑んだ。
心の底から。
そんな二人を面白そうに眺めているのは、オリヴィエとロザリアであった。
「ねえ、ロザリア。アンジェリークって、どうしてあんなにクラヴィスのコト構うんだろうねぇ?」
「まあ、オリヴィエ様!そんなコト、決まってるじゃありませんの。クラヴィス様が不幸のオーラを全身に漂わせているからですわ」
「・・・不幸のオーラ・・・。ま、それはそうだけど、だからどうして??」
ロザリアは、呆れたようにオリヴィエを見つめる。
「んもう!本当にお分かりになりませんの?アンジェリークは優しい子ですわ。世界中の全ての人が幸せでないと、気が済まない子なんですの。だ・か・ら!クラヴィス様のコトも放っておけないんですわ」
我が意を得たり!という表情で、オリヴィエが手を叩いた。
「なるほどね、納得!」
「さすが、物分りがよろしいですわね、オリヴィエ様?」
ロザリアの物言いに、オリヴィエはニヤリと笑う。
そして、ロザリアに向かってウインクしてみせた。
「お褒め頂いて、光栄だよ。それじゃ、デートの続きをしようか?」
「そうして差し上げてもよろしくてよ」
二人は仲良く並んで公園から姿を消すのであった。
ロザリアやオリヴィエから、見物にされていたとも知らず、クラヴィスとアンジェリークは仲良く公園の散歩を続ける。
二人の間の空気は。
今までとは明らかに雰囲気を変えていた。
これまではアンジェリークが一方的にクラヴィスを引きずり回していたような感じであったが、今は。
クラヴィスも積極的に公園の散歩を楽しんでいるように見えた。
『アンジェリーク』
その名を呼んだ時から、クラヴィスの中で何かが変わった。
クラヴィスはその時、過去の思い出と決別したのかも知れない。
公園の花畑で、可愛いピンク色の小さい花を見つけ、クラヴィスはそれをそっと手折った。
アンジェリークの金の髪に、その花を挿してやると。
「レンゲソウですね」
花よりも可愛く、アンジェリークは笑った。
「知ってますか?このお花の花言葉。『私の苦しみをやわらげる』っていうんですよ」
「そうか・・・」
その花言葉は、今の自分の気持ちにぴったりだと。
そう、クラヴィスは思った。
「クラヴィス様、最近良く笑われるようになられましたね?」
淡い水色の瞳を和ませて、リュミエールがそう言う。
「笑いは人生に彩りを与えてくれます。クラヴィス様が微笑まれると、わたくしも嬉しく思います」
言いながら、リュミエールは、ガラスの一輪挿しにレンゲソウを挿した。
「この花を。クラヴィス様に頂いたと言って、アンジェリークが、部屋の花瓶に飾っておりましたよ」
クラヴィスが、フッと微笑む。
司る力そのままに、リュミエールも優しく微笑んだ。
「クラヴィス様。そのお気持ちを、どうか大切になされますよう・・・」
女王試験は、順調に進む。
ロザリアとアンジェリーク。
二人の女王候補の力は、ほぼ互角だった。
王立研究院から大陸の様子を眺め、クラヴィスはため息を付く。
間もなく、宇宙は新しい女王を得ることになるだろう。
ロザリアか、アンジェリークか・・・。
どちらが女王になっても、素晴らしい女王になるであろう事は、クラヴィスも分かっていた。
そして、宇宙が新しい力を求めていることも。
もし、アンジェリークが女王になってしまったら・・・。
言えば良いのだ。
自分と共に、生きて欲しいと。
しかし、その一言が、クラヴィスには言い出せなかった。
クラヴィスは怖かった。
天使のようなあの少女に、拒まれるのが。
自分はまた、感じなければならないのだろうか?
あの、どうしようもない喪失感を。
チクリと胸が痛んだ。
そしてクラヴィスは、大陸からそっと、視線を逸らすのだった。
〜 続く 〜
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