I WISH
もし君が、俺を忘れてしまっても・・・。
心の奥底で、憶えていてくれ。
君の奥で眠るその記憶を、絶対に俺が、取り戻して見せるから。
・・・だから。
ほんの少しでいい。
俺を、覚えていてくれ。
アンジェリークの姿を、見かけた。
視界が悪くなるほどに大量の書類を抱えて階段を降り始めたアンジェリークに、オスカーは階下から声をかける。
「アンジェリーク!そんなに書類を抱えて階段を下りたら、危ないぞ。俺が持ってやるから、そこで待っていてくれ」
「大丈夫ですよ、オスカー様。これは私の仕事なんですから。オスカー様は早く執務室に戻って、オスカー様の執務をキチンとなさってください。それが私にとって、一番嬉しいことですよ?」
ニコリ、と、アンジェリークが微笑む。
まるで天使を思わせるような、優しく温かい笑顔で。
その笑顔に幸せな気持ちになりながら。でも、オスカーは引き下がらなかった。
「レディに重い荷物を持たせるなんて、男として恥ずべきことだ。君の書類持ちを手伝うぐらいで執務を疎かにしたりしないさ。さあ、アンジェリーク」
言いながら手を差し伸べると、
「もう、オスカー様は・・・。でも、本当に大丈夫ですから!」
愛らしい仕草で小首をかしげて。
アンジェリークがそのまま一歩、階段を降りようとしたその時。
くらり。
アンジェリークの体が傾き。
ふわり。
彼女が持っていた書類が、宙に浮かんで。
オスカーの視界から、アンジェリークの姿が消える。
「!?」
何が起きたかを理解できずにいるオスカーの耳に、
「キャッ!?」
小さな悲鳴が届き、何かが転がり落ちるような嫌な音が。辺りに響いた。
偶然近くを通りかかった女官が、叫ぶ。
「キャーッ、誰か!補佐官様が!!」
ハッと我に返り、
「どうしたんだ!?」
オスカーは、階段下に駆けつけた。
「オスカー様!補佐官様が・・・」
動揺し、泣き出しそうな女官を押しのけたオスカーの顔が、蒼褪めた。
バラバラに散らばった書類の海の中で・・・青い顔をして、アンジェリークが倒れていたからだ。
「補佐官は、階段から落ちたのか!?」
ものすごい剣幕で確認を取るオスカーに、女官は頷いてみせる。
オスカーはアンジェリークを抱き上げ、女官に指示を出した。
「補佐官の私邸に、医者を呼べ。大至急だ。その後、陛下、ジュリアス様の順に連絡を。俺は、補佐官を私邸に連れ帰る。分かったか!?」
言葉なく頷き、女官はパタパタと走り去り。
オスカーは、アンジェリークを抱きかかえたまま、彼女の私邸へと急いだ。
アンジェリークは、なかなか目を覚まさなかった。
外傷も少なく、何処にも異常は発見されない、と医者は言っていたが。
3日経っても目を覚まさないアンジェリークに、周りの者は苛立っていた。
「何処にも異常はないというのに、どうしてアンジェリークは目を覚まさないの!?わたくしに納得いくように、説明しなさい!」
噛み付きそうな勢いで、ロザリアが医者を問い詰める。
「しかし、陛下・・・。何度も精密検査をいたしましたが、補佐官様には・・・」
「その言葉は聞き飽きましたし、言い訳も聞きたくないわ。今日アンジェリークが目を覚まさなかったら・・・貴方を首にして、他のお医者様を呼びます。何もすることがないなら、退出なさいな!」
すごすごと引き下がる医者に、リュミエールが何事か声をかける様子を目の端で捕らえながら、
「陛下・・・今の言葉は、少し厳しすぎたのでは?」
オスカーはロザリアに、そう言った。
「厳しいですって?わたくしは、これでも我慢したつもりですわ。アンジェリークがこのまま目を覚まさなかったら・・・わたくし、一体どうすればいいの!?」
「・・・陛下、お気を強くお持ちください」
オスカーの言葉に、ロザリアは俯き。笑って見せたが、それは力ない笑いだった。
「・・・そうね。ごめんなさい、オスカー。わたくしより、アンジェリークの恋人である貴方の方が、さぞかし気が揉めるでしょうね・・・。取り乱して悪かったわ」
取り乱したくても、オスカーは取り乱せなかった。
(アンジェリークが、もしこのまま目を覚まさなかったら・・・)
思うこと自体が、不吉に思えて。
そう思ってしまったら、本当にアンジェリークが目を覚まさなくなるような気がして。
意識して、思わないようにしていた。
(アンジェリークは、絶対に目を覚ます)
自分に、そう言い聞かせながら。
オスカーは我慢強く、アンジェリークの目覚めを待っていた。
「う・・・ん・・・」
その時、オスカーとロザリアの耳に、小さい声が届いた。
・・・それは、聞き間違えようのないアンジェリークの声。
「アンジェリーク!」
ロザリアが、アンジェリークのベッドに駆け寄った。
オスカーも、その後を追い、
「アンジェリーク!!」
愛しい人の名前を呼んだ。
若草色をした美しい瞳が、ぽっかりと開かれ。
不審そうな眼差しがオスカーとロザリアと、周りの面々を見つめ。
彼女は、一言声を発した。
「・・・誰・・・?」
その言葉を聞いた瞬間。
オスカーは、頭から冷水をかけられたような。
そんな、気持ちになった。
「アンジェリーク!」
華奢な肩を掴み、
「君は、俺を忘れてしまったのか!?」
激しい口調で問い詰めると。
アンジェリークの瞳に、怯えの色が走った。
「怖い・・・」
涙目で俯くアンジェリークとオスカーの間に、ロザリアが割って入った。
「驚かせてごめんなさい。大丈夫よ、怖くないわ」
子供をあやすように優しくアンジェリークに話しかけながら、ロザリアは守護聖達に目で合図した。
この部屋から、退出するようにと。
呆然とするオスカーの肩を、オリヴィエが慰めるようにポンポンと叩いた。
「行くよ、オスカー」
オリヴィエに引きずられるようにして部屋を出ながら、オスカーは心の中で繰り返した。
(君は、俺を忘れてしまったのか?)
記憶喪失だ、と、医者は告げた。
そんな事は分かっている、と、青い瞳の女王は厳しい表情で言った。
どうすれば、アンジェリークの記憶が戻るのか、と。
医者は黙って首を横に振った。
どうしようもないのだと、誰もが分かっていたのだけれども。
どうにかして、アンジェリークの記憶を取り戻してやりたい。
誰もが、同様に思った。
ロザリアから自分のことについてのあらかたの説明を聞き、ベッドの上に起き上がれるようになると。
身体が覚えているから、と微笑んで、アンジェリークは補佐官としての仕事をこなすようになった。
記憶がない、という不安からか、彼女の笑顔はどこか淋しげで。
優しい春の日差しを思わせるアンジェリークの柔らかい微笑みは・・・彼女の頬から、永遠に消えてしまうのだろうか?
そう思うと、オスカーはたまらなく辛かった。
自分とのコトは思い出さなくても良いから。
せめて、彼女が心から微笑むことが出来るように。
ほんの少しで良い、記憶が戻ってくれればと、オスカーは心から願っていた。
目覚めた時に『怖い』という印象を与えてしまったためか、オスカーの前でアンジェリークは怯えたような表情になることがある。
そんな時、オスカーはどうしても、昔を思い出してしまう。
まだ、女王候補として聖地に来たばかりの頃。
アンジェリークはやはり、オスカーに怯えていた。
氷のように冷たい瞳をしている、と。
今また、アンジェリークはオスカーの瞳に怯えているようだった。
彼女がまだ幼さを残していた、女王候補時代に戻ったかのように。
あの頃に、また戻ったと思えば良い。
全てをまた最初から、やり直せば・・・。
自分にそう言い聞かせながら、オスカーは辛抱強く、アンジェリークに接した。
優しく、紳士的に。
そんなある日、アンジェリークがひょっこりと、オスカーの執務室に顔を出した。
扉の影からオスカーを伺うようにして、
「オスカー様」
アンジェリークは呼びかける。
「どうした?」
優しく声をかけると、アンジェリークはやっぱり、扉の影に隠れるようにして、言った。
「あの・・・私を助けてくださったがのが、オスカー様だって伺って・・・。なのに私、怖いなんて言ってしまって、ごめんなさい」
「・・・気にしてないさ。それより、アンジェリーク。そんなにビクビクしてないで、ちゃんと執務室に入ってきて、俺と話をしてくれないか?」
「オスカー様が、嫌でなかったら」
アンジェリークに向かって微笑みながら。
「嫌なわけがない」
そう、答えると。
アンジェリークははにかんだように笑って、オスカーの側近くまで寄ってきてくれた。
「私のこと、お話してください」
「君の事?」
「はい。私、自分のことをもっと知りたいんです」
「分かった。君が望むなら、話してあげよう」
自分とアンジェリークの関係以外のことを、オスカーは話した。
記憶を失っているアンジェリークに、無理強いしたくなかったから。
それからアンジェリークは。
しばしば、オスカーの執務室を訪れるようになった。
「上手くやってるみたいじゃないか?」
聖殿の廊下ですれ違ったオリヴィエから、声をかけられた。
「上手く?」
「アンジェリークとさ」
「ああ・・・そう見えるか?・・・」
「アンタにしちゃ、忍耐強く頑張ってると思うよ。ところで・・・言わないの?」
「何を?」
「アンタとアンジェリークが、恋人同士だったってコト」
小さく笑って、オスカーは答えた。
「ああ、言わない」
「どうして?」
「記憶のない彼女にそれを言っても、重荷になるだけだ。例え、今の彼女が俺でない誰かを選んだとしても・・・。俺はただ、その恋を応援してやりたいと、心から思ってる」
オリヴィエの瞳が、優しくオスカーを見つめた。
「アンタ・・・大人になったね。でも、大丈夫だよ。例え忘れていたって、強い想いは心の何処かに残ってるはずだ。その想いをアンジェリークから引き出してやれるのは・・・多分、アンタだけなんだから。頑張りなよ、オスカー」
「・・・ありがとう・・・」
オリヴィエの言葉は、オスカーを少し力づけてくれた。
「ありがとう」
重ねて礼を言うと、オリヴィエは照れたようにプイッとそっぽを向いて、
「アンタの口からそんな言葉を聞くと、気味が悪いよ」
クルリとオスカーに背中を向けた。
「じゃあね」
ヒラリと手を振る極楽鳥を・・・オスカーは、感謝の眼差しで見送った。
アンジェリークの記憶が戻らないまま、一月あまり経った頃。
気分転換がしたいと。
アンジェリークが、そう言ったので。
オスカーは彼女を連れて、聖殿を見下ろすことの出来る丘の上まで連れて行った。
「聖地にこんな場所があるなんて、知りませんでした」
そう言って、アンジェリークが笑う。
その笑顔はやっぱり少し淋しそうで。
昔、初めてこの場所に連れてきた時のアンジェリークの笑顔とは全然違う、と、オスカーは思った。
そんな気持ちを押し隠しながら。
「気持ち良い場所だろう?」
話しかけるオスカーにアンジェリークはコクリと頷き、両手を大きく広げて深呼吸をした。
「はい。風がとっても、気持ち良いです」
(前にも、同じような会話をしたな・・・)
過去に思いを馳せ、オスカーは苦く笑う。
そんなオスカーの表情を見て。
「オスカー様って・・・」
言いながら、アンジェリークはオスカーに背を向け、歩く。
丘の、急な斜面に向かって。
「時々、私を見ながら、とっても辛そうな笑い方をしますよね」
そして、クルリとオスカーを振り返った。
「記憶を取り戻すには、記憶を失った時と同じ衝撃を与えるといいって言いますよね?もう一度、聖殿の階段から落ちてみようかしら・・・」
「バカなことを言うもんじゃない」
顔色を変えるオスカーに。
「・・・ここから転がり落ちても、かなりの衝撃ですよね?試してみる価値はありそうですけど」
冗談っぽく、しかし、表情は真剣に、アンジェリークは言った。
「アンジェリーク!こっちに来るんだ」
アンジェリークに近寄ろうとすると。
「来ないで!」
激しく、彼女は叫んだ。
「私は知りたいんです!私が、オスカー様をどんな風に思っていたか。私を見つめてくれるあなたを見ていると、どうしてこんなに胸が痛くなるのか・・・知りたいんです」
「そんなこと・・・」
アンジェリークを見つめながら、
「そんなこと、俺が教えてやるから。こっちにおいで、アンジェリーク」
今にも泣き出しそうなアンジェリークに手を差し伸べると。
彼女はおずおずとオスカーに歩み寄り。
オスカーの手を取って、ギュッと握りしめた。
その手を引き寄せながら、
「お姫様は、王子のキスで目覚めるものだ・・・もし、君が嫌でなかったら」
そう、告げると。
若草色の輝きが、じっとオスカーを見つめ。
そっと両の瞼が閉じられた時、彼女の長い睫毛が微かに震え、白い頬に影を落とした。
「君を、愛してる・・・例え君が、俺を忘れてしまっても。それだけが、俺にとっての真実だ」
抱きしめた細いからだが、オスカーの腕の中で震えた。
「オスカー様・・・」
言葉を遮るように。
綺麗なピンク色の唇を指でなぞり、口付ける。
『オスカー様・・・』
優しくオスカーの名を呼んでくれる、曇りの無い穏やかな微笑みが。
オスカーの脳裏に鮮やかに浮かんで。消えていった。
そして、次にオスカーが思い浮かべたのは。
微笑んでいても、どこか不安そうで悲しげな。
今の、アンジェリークの姿だった。
腕の中で、確かに今、アンジェリークを抱きしめているというのに。
彼女が、どうしようもなく遠い人に感じられる。
「・・・アンジェリーク・・・君を、愛してる」
愛を誓う言葉でさえも、嘘のように聞こえてしまう。
百万回『愛している』と言っても。
アンジェリークの本当の心には届かないような気がする。
アンジェリークを抱きしめたまま、オスカーは思った。
(俺は、どうすればいい?彼女のために、どうすれば・・・)
ただ、こうして抱きしめることしかしてやれない。
気休めに過ぎない優しい言葉をかけてやることしか出来ない。
愛する女性が苦しんでいるのに、何もしてやれない。
そんな自分の無力さが、どうしようもなく情けなかった。
「・・・愛してる・・・」
呟いたオスカーの瞳から、涙が零れた。
「愛してる・・・」
ただそれだけを繰り返しながら。
オスカーは、涙を流す。
ただ一人の、女性のために。
オスカーの頬を伝う涙が、アンジェリークの頬に一滴、ポトリと落ちた時。
彼女の若草色の瞳が、大きく見開かれ。
「オスカー様・・・」
愛らしい唇が、オスカーの名を綴った。
「オスカー様、私・・・私は、アンジェリークです」
「・・・?」
涙を乱暴に拭いながら、オスカーは不思議そうに、アンジェリークを見つめた。
アンジェリークの頬に、笑顔が広がる。
それは、春の光を思わせるように。
穏やかで優しい笑顔。
アンジェリークだけが見せる・・・。
「アンジェリーク・・・?」
恐る恐る名前を呼ぶと。
アンジェリークはニッコリと微笑んだ。
天使の微笑みで。
「はい。私は、アンジェリークです。オスカー様のアンジェリークですよ」
その瞳に、透明な涙が浮かんで。
「ごめんなさい、オスカー様。今まで忘れていて。でも、ずっと会いたかった・・・」
ポロリと一粒、真珠のような涙が彼女の頬を流れる。
「アンジェリーク・・・!」
抱きしめて、キスをする。
もう彼女は。オスカーにとって、遠い人ではなかった。
それどころか、誰よりも近い・・・。
「・・・愛してる・・・」
「オスカー様・・・」
背中をギュッと抱きしめてくれる、その細い腕の感触は、確かにアンジェリークのもので。
もう二度と離すまいと、オスカーは強く、腕の中の愛しい人を抱きしめるのだった。
君を愛してる。
もし君が、俺を忘れてしまったとしても・・・。
君を、愛してる。
・・・だから。
忘れてしまっても、憶えていてくれ。
俺は必ず、君を取り戻すから。
君を・・・君を、愛してる。
ただ、君だけを・・・。
〜 END 〜
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難産でしたが、やっと完成しました!
キリ番7777を踏んでくださったあきら様からのリク「カッチョいいオスカー様」です。
管理人としては、当サイト比300%アップぐらいの勢いで頑張ったつもりですが・・・。
真のオスカー様ファンから見れば、まだまだカッコ良さが足りないかも知れず、恐縮です。
でも、マジで頑張りました(笑)。
んもう、オスカー様をギャグに走らせないために、リモを記憶喪失にして頑張りました(爆)。
あきら様、こんなんで喜んでいただけるでしょうか?
これからも精進しますので、どうぞよろしくお願いしますね♪
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