Mind ESCAPE




「あー、とっても良い気持ち!!」
 この世界を統べる至高の存在である筈の女王陛下。
 その女王陛下は今現在、聖殿が見える丘の上で両手を大きく広げ、深呼吸をしていた。その傍らでは、鋼の守護聖のゼフェルが笑いながら彼女の仕草を見ていた。

 話は数十分前にさかのぼる。
 朝の謁見が終わった後、金の髪の女王は、自分の執務室に戻って小さく溜め息をついた。
 この女王、元の名をアンジェリーク・リモージュという。まだ即位して日が浅い彼女は、緊張の連続な毎日を送っていた。
 女王候補時代は元気のよさ・活発さが売りの彼女であったが、女王になってからは外出の機会もめっきり減り、しかも外出時にはお付きの人がぴったり着いてくるので気が抜けない。少々憂鬱な気分である。
「あー、今日はこんなに良いお天気なのに、執務室でじっとしてるなんてやってられないわ。自由な身でお外に行きたいよ〜」
 もう一度溜め息をつき、誰にも聞こえないようにそう呟いた。
その時ノックの音と共に、アンジェリーク補佐官であるロザリアが執務室に現れて。
「陛下。鋼の守護聖・ゼフェルが謁見を申し入れていますけれども…。どうなさいますか?」
(ゼフェル様が?)
「お通ししてちょうだい」
 女王候補時代を思わせるようなニッコリ笑顔で、アンジェリークは彼女の優秀な補佐官にそう告げた。
 女王執務室に入ってきたゼフェルは、ツカツカとアンジェリークに歩み寄ると、開口一番、挨拶も無しに、
「おい、これから出掛けるぞ」
 アンジェリークに告げた。
「えっ、ええ〜っ!?でも、執務中で、それにロザリアが…」
「出掛けるったら出掛けるんだよ。一緒に来るか来ないか、とっとと決めろよな。」
 一瞬だけ躊躇したものの、最初から答えは決まっているようなものだった。
「行きます!」
「そうこなくちゃな。じゃあ、行くぜ。こっからエスケープだ」
 悪戯な笑みを浮かべると、ゼフェルは女王執務室の窓を開け放った。
「エスケープぅ!?」
「そうでもしねーと、おめー、おちおち外出もできねーだろ?」
「だって、ここ二階…」
「あ゛ー、うるせーっ!オレが付いてんだから、んなコト気にすんな。おめーはただ、こっから飛び降りればいいんだよ。オレが下でバッチリ受け止めてやるから安心しろ」
 言うが早いが、ゼフェルは聖殿の柱を伝ってスルスルと下に降りていった。あっという間に地上に降り立つと、アンジェリークに向かって大きく手を振って手招きをする。
(ゼフェル様なら、絶対受け止めてくれるよね)
 アンジェリークはひらりと宙に身を躍らせ、ゼフェルの腕の中に飛び込んだのだった。

 女王候補時代よりほんの少しだけ伸びた柔らかい金の髪を爽やかな風にそよがせて、アンジェリークは幸せそうに微笑んだ。
「ゼフェル様、ありがとうございます。今日は本当にお外に行きたかったの。…ゼフェル様って、私の心の中が分かるんですか?」
「あったりめーだろ」
 ゼフェルは事も無げに答える。そして、更に言葉を紡いだ。
「今まで、いつだってそうだったじゃねーか。忘れたのか?今日の謁見の時だって、今にも溜め息つきそうなのがミエミエだったぜ」
「出来るだけ普通に振る舞ってたのに…。そんなにミエミエでした??」
「他のヤツらには分かんねーけど、オレには分かる。…いくらトロいおめーでも、どういう意味だか分かるよな?」
 普段の天然ボケぶりからは想像もつかないような明敏さで、その言葉の意味するところを正確に把握し、アンジェリークは熟した林檎のように頬を赤らめた。
「ゼフェル様、それって…」
「あー、もう、何も言うな!!…そのよ、ずっと言おうと思ってたんだけどよー。踏ん切りつかねー内に、おめーは女王になっちまったから…」
 アンジェリークは、黙ってゼフェルを見つめた。ゼフェルはトマトのように赤くなり、アンジェリークに背を向けた。
「なんてな。ウソだウソ!今日はただ、おめーが元気なさそうだったから、連れ出してやろうと思っただけだ」
「………」
 答えはなかった。
 嫌〜な予感がして、ゼフェルは恐る恐る背後を振り返る。
 振り返って愕然とした。
 案の定、彼女は迷子になった子猫のようにゼフェルを見つめているのだ。
瞳を潤ませて、悲しそうに。
 それは彼女が女王候補の時から、ゼフェルが一番苦手としていた表情で。

 アンジェリークにそんな顔をされると、ゼフェルは決まって、どうしていいのか分からなくなるのだった。
「だーっ、泣くんじゃねーっ!」
 一言叫んで、ゼフェルはそっぽを向いた。
 今にも涙が零れ落ちそうなアンジェリークの瞳を、正視していられなかったのだ。
 ゼフェルに怒鳴られ、アンジェリークの瞳から、とうとう、涙が一粒、零れ落ちた。
 溢れ出した涙は、止まらなくて。
 ギョッとしたような表情のゼフェルにはお構いなしで、アンジェリークは口を開いた。
「私が泣いちゃうのは、ゼフェル様の所為です。今日だってこうして外に連れ出して貰って、とっても嬉しかったのに…。期待させるようなコト言って、急に前言撤回するから!ゼフェル様なんて、大嫌い!!」
 ゼフェルはうっ…と言葉に詰まり、かなりの間を置いてから、ボソリと呟いた。
「だってよぉ、おめーは女王で、オレは鋼の守護聖様な訳で、やっぱ、ヤバイだろ?」
「私…。ゼフェル様のこと好きでいちゃいけないって言われたら、もう、この世界を守っていけなくなっちゃうもん!」
 これはある意味、大変な問題発言であった。ジュリアスがこのアンジェリークの言葉を聞いたら怒りと当惑のあまり卒倒してしまうかも知れない程に。
 流石のゼフェルもこれには驚いて。その反面、皆に愛されている金の髪の天使にここまで想われている、という事実に悪い気はせず。そして、子供のようにしゃくりあげるアンジェリークを見つめ、途方に暮れるゼフェルであった。
 アンジェリークが、愛しくて、愛しくて。
 彼女は女王で自分は守護聖ではあるけれど、これ以上気持ちを押さえられなかった。冗談で、気持ちを紛らわせることも。
「…アンジェリーク」
 即位して以来、初めて。初めて名前を呼ばれたアンジェリークがゼフェルを振り仰ぐ。
「わりぃ。誤魔化そうなんて思っちまって。今度はちゃんと言うから、よく聞いとけよ」
まだ涙の残る瞳でアンジェリークが頷いた。真剣な眼差しで。
 その眼差しを見て、ゼフェルは腹を決めた。ゼフェルは男なのだ。男として、好きなオンナを泣かせっぱなしにしていい筈がなかった。
「アンジェリーク。オレは、おめーが、好きだ。誰よりも、好きだ」
 一言一言。自分の気持ちを確かめるように。はっきりと、しっかりと、ゼフェルは告げた。
 アンジェリークが泣き笑いの表情になる。
ゼフェルはぎこちないながらも、これ以上にない愛情と優しさを込めて彼女のふわふわした金の髪を撫でてやったのだった。

聖殿への帰り道。
「あー。ロザリア、怒ってるだろうな〜。ね、ゼフェル様、一緒に怒られて下さいね?」
 肩をすくめて呟いたアンジェリークに、ゼフェルは全然関係ないコトを言った。
「おめーよ、もう女王になったんだから、その様付けは止めろって。あと、敬語使うのもな」
「ゼフェル様、でも…」
「あーっ、また言いやがったな?」
ゼフェルはアンジェリークの額を人差し指で小突く。
「いったーい。急には無理なのに…。もう、ゼフェル様なんて知らないっ!」
涙目になり、おまけに頬を膨らませて、アンジェリークはゼフェルを恨めし気に見やる。
「あーっ、もう、泣くなって。おめーに泣かれると、オレ、どうしていいか分かんなくなるからよ。それによ、そのー、呼び捨てで呼んでもらった方が、なんかさ、その…」
 ゼフェルは言いよどんでいたが、やがて意を決したように言葉を紡いだ。
「名前だけで呼んでもらった方が、なんか、フツーの恋人っぽいだろーが!?」
怒ったようにそう告げるゼフェルを見つめ、アンジェリークは可笑しくてたまらないといった様子で笑いを漏らした。
「何だよ、おかしーかよっ!?」
「ううん。嬉しいの。ゼフェル様がそんなコト言ってくれるなんて」
 アンジェリークのエメラルド色の瞳が、優しく揺らめいた。
「……大好き、ゼフェル様」
「オレも。ずっとずっと、おめーのコト好きだからな?」
 幸せそうな微笑と共にアンジェリークは頷き、ゼフェルに寄り添った。
二人の視線が交錯する。機械いじりの時はこれ以上無いほどに器用なゼフェルの手が、アンジェリークの頬に不器用そうに触れて…。
アンジェリークは、そっと瞳を閉じる。
 そして恋人達は、初めてのキスを交わしたのだった。

「陛下っ、一体今まで何処に行っていたんですの!?」
案の定、聖殿に帰った二人を待っていたのは、ロザリアのお小言だった。
最悪のシナリオだとロザリアと一緒にジュリアスも待ち受けている筈であったが、どうやらそれは免れたようだ。
 ゼフェルが男らしく、アンジェリークを庇った。
「よー、ロザリア。アン…じゃなくて、陛下をそう怒るなよ。オレが無理矢理連れ出したんだからよ」
「ロザリア、ゼフェル様を怒らないで!私がお外に行きたがってたから、ロザリアに怒られるのを覚悟で、連れ出してくれたんだもの」
 アンジェリークも負けじとゼフェルを庇う。
 ロザリアは、苦笑を漏らして。
「陛下に一つお聞きしますわ。楽しかったですか?」
「うん!とっても!!」
 満面の笑みを浮かべて即座に答えるアンジェリーク。
 久しぶりに見る女王の晴れやかな笑顔に、ロザリアはこれ以上叱る事ができなくなってしまった。
「わかりました。陛下も最近、お疲れでしたものね。わたくしがもっと気を遣うべきでしたわ。でも陛下、一つだけお約束して下さらないと困ります。これからは絶対に、黙って出て行かないこと。よろしいですわね?」
「えっ?ロザリア、それって・・・」
「陛下にも、たまには息抜きが必要です」
 そう言って女王思いの優秀な補佐官は、ゼフェルをチラリと見やった。
「お分かりですわね、ゼフェル?」
「了解。…サンキューな、ロザリア」
 今後の二人での外出について、補佐官から暗黙の了解がでた瞬間であった。
「さ、今日はもう遅いですし、ゼフェルはもうお帰りになってくださいな。明日は今日怠けた分の仕事がたっぷりと待っていることをお忘れなく」
 皮肉のスパイスをピリリと効かせて、ロザリアはゼフェルに告げた。
 ゼフェルはちょっとだけ嫌そうな顔になり、
「わーったよ。今日の分、しっかり仕事するから心配すんな」
 それからアンジェリークに声をかけた。
「アンジェリーク、またな」
「うん!またね、…ゼフェル」
 ゼフェルが自分の希望通りに名前だけで呼ばれたことに気付いたのは、女王執務室を退出してから大分後のことであった…。
「ロザリア、本当にありがとう。今度から絶対、黙って出て行ったりしないから!」
「はいはい。分かったわよ。あんたがあまりにも幸せそうなんだもの。会うな、なんて言えないわ。いいこと、アンジェリーク。わたくしは、あんたにはいつでも幸せでいて欲しいの。そのためだったら、ジュリアスが反対したって押し切ってみせるわ」
「ありがとう。分かってると思うけど、私、ロザリアも大好きよ!」
「分かっているわ。では、おやすみなさい、アンジェリーク」

 一日のほとんどを大好きなゼフェルと過ごせて、しかも好きだと言ってもらえて、アンジェリークは幸せいっぱい。
 一方ゼフェルも、ずっと好きだった少女が自分を好きだと言ってくれて、これ以上無いほどに幸せな気分であった。
 場所は違えど、ベッドに入る前に、二人は同じ事を思った。
「今日はとっても良い夢が見られそう!」
「久し振りに良い夢見れるかもしんねーな…」

 それでは皆様、おやすみなさい!


〜 END 〜






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