<明日また陽が昇るなら>


第5話 暗い影




 オスカーに伴われてアンジェリークが会場に戻った時、戸口の周りの青年達が、軽くざわめいた。
 人々を掻き分けて会場の中央に躍り出た一人の青年が、翳りを帯びた面持ちで辺りを見回した。
 芸術を愛し、社交的な催しを好まないこの青年・・・セイランが、ダンスパーティの会場に来ている。
 彼の白い手には、新聞が握られていた。
 会場の隅にいたロザリアは、思わず身震いした。
 ちょうどこのパーティに来ていた旧知の人物とそれなりに楽しい時間を過ごしていたロザリアだったが。
 セイランの登場で、昨日感じた不安が、また一気に甦ってきた。
 彼が何を言い出すかと固唾を呑んで見守るロザリアの視線の先で。
 静かに、セイランが口を開いた。
「英国は今日、ドイツに対して宣戦布告をしたよ。このニュースは、僕が街を出ようとした時に、丁度知らせがあったものだ」
 ゆっくりと、セイランは言った。
 青くなりながら、ロザリアは呟いた。
「大変だわ・・・。わたくしの夢の・・・最初の波が、打ち寄せてきてしまった・・・!」

 会場内では、一斉に叫び声が上がった。
 それは、血気盛んな青年達のものだった。
 青年達は、口々に戦争の話を始める。
 リュミエールは真っ青になって部屋を出て行き、ランディと擦れ違った。
「ニュースを聞きましたか、ランディ?」
「聞いたよ。英国がフランスを窮地で見捨てるような真似をするなんて、オレは思ってなかったからね。予想通りだ。誰かが言っていたけれど、明日から義勇兵を募集するようだね」
 ランディは軽快な足取りで去って行き、一人残されたリュミエールは深くため息をついた。
「この戦争が終わるまでに・・・誰もが皆、胸が張り裂けるような思いをすることになるでしょう。それも、何年もの間」
 優しい水色の瞳は、憂いを帯びて夜空を見上げた。

 戦争・・・?
 実感がわかず、アンジェリークがオスカーの隣で呆然としていると、
「くるぶしの怪我さえなければ、俺も志願するのだが・・・」
 そんな恐ろしい言葉が耳に飛び込んできて、アンジェリークは仰天した。
「オスカー!あなたはくるぶしの怪我がなかったら、志願するの?どうして??」
「俺達は、英国の一員だ。己の正義と女王陛下のために、戦わなくてはならない。そうは思わないか?」
 アンジェリークは、戦争のことなど考えたくなかった。
 返事をせずにアンジェリークが黙っていると、オスカーは優しく声をかけてきた。
「疲れているのか?」
 尋ねながら、オスカーは全くの上の空だった。
 つい先程までは、アンジェリークのことをまるで宝物を扱うように大切に見つめてくれていたのに。
 アンジェリークは、急に淋しくなり、すぐさま家に帰って、ディアに甘えたくなった。
 そして、見知らぬ若者がダンスを申し込んできたのを機に、アンジェリークはオスカーから離れた。
 オスカーの頭の中には、もう、戦争の事しかないのだから構わないだろう。
 アンジェリークは若者と共にダンスを始めたが、オスカーでない男性とのダンスは、全く味気なく感じられた。
 楽しかったはずのダンスパーティは物騒なニュースのために台無しだと、アンジェリークは思った。


 けれども、アンジェリークはすぐさま、ダンスパーティが台無しになった、などというくだらないことに悲しんだ自分を、馬鹿だと思うことになる。


 ダンスパーティの翌日、炉辺荘に大きな戸惑いが訪れた。
 皆で夕食を摂っている時、電話のベルが鳴った。
 それは、ランディへの電話だった。
 話を終え、受話器を置いたランディは、家族を振り返った。
 ランディの瞳は・・・輝いていた。
 それはきっと、彼なりの正義感ゆえに。
 その表情を見た瞬間、ディアがサッと青くなった。
 アンジェリークはその音が周りの皆に聞こえるのではないかというぐらいに、自分の心臓がバクバクと音を立てているのを感じていた。
「父さん、街では義勇兵を募っているそうです。俺も今夜、応募の手続きに行って来ようと思います」
「いけないわ、私のランディ坊や」
 悲鳴のような声で、ディアが叫んだ。
 もう何年も、ディアはランディを坊やと呼んでいなかった。
 ランディが、そう呼ばれるのがイヤだと言ったその日から。
「いけません・・・!いけません、坊や」
 青い瞳が、困ったような表情を纏った。
「そうしないといけないんです、母さん。俺の考えは、正しいと思う。・・・そうでしょう、父さん?」
「そうだろうな、ランディ。そうだろう。お前が正しいと思うのならば・・・それは、正しいのだろう」
 ランディにそう答えたカティスの顔も、真っ青だった。
 白い手の平で、ディアが顔を覆った。
 リュミエールは沈痛な面持ちで目の前のスープの皿を見つめていた。
 マルセルは、平気なふりをしていた。
「私には、あの子を止める事ができない・・・。ああ、カティス!」
 ディアが、すすり泣いた。
 カティスが慰めるような力づけるような仕草でディアの肩に手を置き、二人は食堂を出て行った。
 ランディは既に、いなくなっていた。
 黙ったままマルセルも立ち上がり、アンジェリークの前から姿を消した。
 アンジェリークは救いを求めるような気持ちでリュミエールに視線を走らせたが、彼は深く、物思いに沈んでいるようだった。
 そして、他の家族のように、部屋を出て行ってしまった。

 ランディは、戦争に行ってしまう。
 戦争に行く・・・生きて戻ってこられる保障などないというのに。
 オスカーは、己の正義と女王陛下のために戦わなくてはならないと言っていた。
 きっとランディにも、戦う意味があるのだろう。
 けれども・・・。

 キュ、と、アンジェリークは形の良い口唇を噛み締めた。
 戦争の暗い影が、じわりじわりと、炉辺荘を覆い始めていた。



 〜 続く 〜




炉辺荘にも暗い影がひたひたと迫ってきました。
アンジェリークの成長はこれからです。
などといいつつ、マサさんにタッ〜チ!!






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