<キングスポートの街角>
第12話 真実の愛
「ディア、ただいま!!」
グリン・ゲイブルスに戻ると、ディアが優しい笑顔で迎えてくれた。
「お帰りなさい、アンジェリーク」
「やあ、アンジェリーク。お帰り」
ディアの傍らでは、カティスが笑っていた。
「カティスさん、ただいま戻りました」
そう挨拶を返してから、アンジェリークはディアに尋ねた。
「ねえ、ディア。玄関のスノー・クイーンはどうしたの?」
アンジェリークがディアに引き取られた時に、玄関先の林檎の木に『スノー・クイーン』と名前を付けた。
雪のように真っ白な花が沢山咲くからで、アンジェリークはその木をとても好きだったのだ。
「冬の大風の時に、倒れてしまったの。芯が腐っていたみたいでね」
「あの木が窓から見えないと、淋しいわ」
「私も淋しいわ。私が小さな時からこの家にあったものだから・・・」
アンジェリークは小さく溜め息をついた後、入り口の階段に腰を下ろした。
夕日が、アンジェリークの金の髪を優しく照らした。
その様子を見てディアとカティスは顔を見合わせて微笑んだが、アンジェリークはその事には気が付かないようだった。。
「ねえ、ディア。アヴォンリーのニュースをすっかり聞かせてくれる?」
「もちろんよ、アンジェリーク。お茶を淹れてあげるわ。カティスと一緒に食堂にいらっしゃい」
「はーい」
ディアの側にいると、いつまでも子供のような気分だとアンジェリークは思い。
イソイソとディアの後について、食堂に向かった。
懐かしい我が家に戻ってしばらくの後、アンジェリークは古い知り合いに会いに出掛け、アヴォンリーを数週間留守にした。
アンジェリークが戻ってきた日は、今にも雨が降り出しそうな曇りの日だった。
「よお。アンジェリークじゃねえか!」
「あら、ゼフェル。久し振りね」
「これから帰りか?家まで送ってってやるよ」
「ありがとう、ゼフェル。優しいのね」
そう言うと、ゼフェルは少し大人びたような表情で笑った。
それは、今までアンジェリークが見たことのない、新しい彼の表情だった。
子供だった時代は終わりを告げ、みんな少しずつ変わっていくのだと思うとアンジェリークはどことなく物悲しい気持ちになったが、その思いを振り切るようにして、ゼフェルに向かって笑いかけた。
「それじゃあ、お言葉に甘えて送っていってもらおうかな」
ゼフェルは頷き、二人は並んで歩き出した。
歩きながら、ゼフェルは将来の夢のことなどを熱心に話し、アンジェリークはその会話を楽しんだ。
彼の向上心をアンジェリークは尊敬していたからだ。
ゼフェルはその他にも何か言いたげだったが、アンジェリークはその内容に見当も付かず、何やらモヤモヤと胸の中で気持ちがわだかまっているような感じがした。
やがて、グリン・ゲイブルスの玄関前に辿り着くと。
ゼフェルが、口を開いた。
「なあ、アンジェリーク」
「なあに?」
言いにくそうにしながら、ゼフェルが言葉を紡ぐ。
「ランディのヤツが・・・」
出てきた名前にドキリとしたが、何でもない風を装って、アンジェリークは尋ねた。
「ランディがどうしたの?」
軽く頭を振って、ゼフェルはアンジェリークに背を向けた。
「何でもねえよ。ディアによろしくな」
そして、アンジェリークの前から走り去っていった。
ポツリ。
ゼフェルの後ろ姿を呆然と見送ったアンジェリークは、頬に落ちた冷たい感触で我に返った。
ポツリ、ポツリ。
雨の雫が空から落ちてきて。
アンジェリークは慌てて玄関のドアを開き、家の中に入った。
「あなたを送ってきたのは、ゼフェル?随分と大人っぽくなったわね・・・」
アンジェリークを迎えたディアは、そう言って優しく笑ったが、アンジェリークはその笑顔に違和感を覚えた。
私に、何か隠している・・・?
「ねえ、ディア」
「なあに?」
「ランディが、どうかしたの?」
ディアの表情が微かに強張ったのを、アンジェリークは見逃さなかった。
「ディア?」
黙り込んでしまったディアの代わりに、カティスの声が答えた。
「君が出掛けたすぐ後に腸チブスにかかって、危ない状態が続いている。今夜辺りが峠らしいが・・・。医者に言わせると、もう、望みはないようだ」
『腸チブス、危ない状態、望みがない』
その言葉が、アンジェリークの頭の中をグルグルと回った。
「・・・本当・・・なの?」
「カティス!」
ディアが咎めるようにその名を呼ぶと、カティスは真面目な顔でディアと向き合った。
「いつまでも隠しておけるものじゃあないだろう?」
「ああ、アンジェリーク・・・」
ディアがアンジェリークの腕を取った。
「そんな顔をしないで。ランディはスポーツで鍛えているし・・・大丈夫よ」
アンジェリークは優しくディアの腕を自分から離し、フラフラと2階の自室への階段を上った。
灯かりもつけずに部屋の中に入り、アンジェリークは虚ろな瞳で窓の外を見つめた。
家に戻った時にポツポツと降り始めた雨は、今や激しく窓ガラスに打ちつけ、風の吹き荒れるヒューヒューという音が耳に入ってくる。
そして、そして・・・。こんな晩に、ランディは死にかけているのだ・・・!
暗闇の中でガタガタと震えながら、アンジェリークは悟った。
「私は・・・ランディを愛していた・・・!ずっと・・・」
けれども、気付くのがあまりにも遅すぎた。
愛していないなんて、どうして思っていたのだろうか?
『俺は・・・俺は君を愛している』
ランディの熱っぽい眼差しを思い出し、アンジェリークは苦しさに身を捩った。
あの時、自分がランディの申し出を断っていなければ・・・。
今、ランディの側についていてあげることも出来るのに。
恐ろしいことに、ランディはアンジェリークがランディを愛していると知らないまま、この世から姿を消してしまうのだ・・・!
ランディがいなくなった世界で生きていく自分。
その姿を、アンジェリークは想像できなかった。
「ごめんなさい、ランディ・・・!私・・・あなたを愛してるわ、愛してるわ・・・!!」
窓辺にうずくまり、アンジェリークは途切れ途切れに呟いた。
胸が苦しくて苦しくて死んでしまいそうだったが、これは、愚かな自分への罰なのだ。
ディアは休む前にアンジェリークの部屋の入り口で様子を伺ったが。
中からカタリとも音がせず、ひっそりと静まり返っているその様子に、心配そうに俯きながら自室に戻っていった。
翌朝は、快晴だった。
嵐は一晩中荒れ狂い、その間、アンジェリークは苦しみの絶頂にあったが。
朝日が昇り、アンジェリークの窓辺を柔らかく照らすと彼女は立ち上がり、静かに階下に降りた。
家の外に出て、アンジェリークは雨の後の清浄な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
火照った肌を、爽やかな風がそっと撫でていった。
不意に。
アンジェリークの視線の中に、足取り軽く歩いてくる少年の姿が入ってきた。
身体中の力が抜けそうになり、アンジェリークは側の木に凭れかかった。
(あれは、マルセルだわ・・・)
マルセルは、ランディの従兄弟だった。
(彼なら、ランディのことを・・・)
「・・・・・・マルセル・・・」
自分でも驚くほどに弱々しい声で、アンジェリークは少年の名を呼んだ。
菫色の瞳が、アンジェリークを振り向いた。
「あ、アンジェリーク。おはよう」
アンジェリークは、勇気を振り絞って尋ねた。
もしもランディが最悪の事態を迎えていたとしても、それを知らずに苦しさに悶々と過ごすよりは良いだろうと考えたのだ。
「ランディの様子は・・・どうなの?」
ニッコリと、マルセルは笑った。
「良い方に向かっているよ。お医者様も、もう大丈夫だっておしゃってるしね」
そして、軽やかに歩みを進め、去っていった。
マルセルの足音が徐々に遠くなっていく。
アンジェリークは、胸の中に深い喜びを感じていた。
(ランディは、生きている・・・!)
そして、一言一言を確かめるように、声に出した。
「ランディは、生きている!」
優しく降り注ぐ太陽の光の中、梢で鳥達が囀っている。
その囀りを、アンジェリークは今、心から嬉しく聞くことが出来た。
アンジェリークは若草色の瞳を優しく細め、空を見上げた。
抜けるような青い空は、今のアンジェリークの心とぴったりと調和した。
「神よ・・・。ありがとうございます・・・」
アンジェリークの喜びの声は、澄み切った空気の中にスッと溶けていった。
病気から回復して、ランディは再び、アンジェリークを頻繁に訪れるようになっていた。
「やあ、アンジェリーク。これから、俺と一緒に出掛けないか?」
「ごめんなさい、ランディ。今日はどうしても出席しないといけないパーティがあるの」
瞳と同じ、若草色の薄くてフワフワとしたドレスを膝の上に乗せた状態で、アンジェリークはランディを見上げた。
「それは、今夜着て行くドレス?」
「ええ。綺麗でしょう?髪にはスターフラワーをさそうと思っているのよ」
ランディの青い瞳が、優しく揺れてアンジェリークを見つめた。
その視線を、アンジェリークは少し、居心地が悪いと感じた。
「じゃあ、また明日来るよ。今夜は楽しんできてくれ。邪魔をしてゴメンな」
ランディはそのまま気軽な様子で立ち去り、残されたアンジェリークは、小さく溜め息をついた。
アンジェリークとランディ。
二人の間には、元のような友情が甦っていた。
けれども、アンジェリークはそれに満足が出来なかった。
あの時に素直になれなかった自分が悪いのだと思いつつ、アンジェリークはこれからの自分に思いを馳せた。
アンジェリークは教師になるつもりだった。
そして、自分は教師として気高く立派な仕事が出来るはずだと思っていた。
けれども・・・。
若草色のドレスの上に、アンジェリークは再び、吐息を落とした。
翌日、ランディは約束どおりにアンジェリークの元にやってきた。
瞳を輝かせながら、アンジェリークはランディを迎えた。
アンジェリークは、若草色の服を身に着けていた。
それは昨日の服とはまた違い、レドモンドに在学中、ランディが好きだと言ったことのある服だった。
その服は、アンジェリークの柔らかな金の髪と白い肌の色、そして、大きな瞳を引き立てて見えた。
並んで歩きながら、アンジェリークはランディに視線を走らせた。
病気以降、ランディの少年らしい部分はすっかりと影を潜め。
まるで、少年時代を病気と共に置き去ってきたかのように感じられた。
ランディと共に辿り着いた目的地には、秋のきりん草としおんが咲き乱れていた。
(しおんの花言葉は『追憶』だったかしら・・・)
そんな事を考えながら、アンジェリークはランディとのこれまでに思いを馳せた。
花々を見下ろすようにして、太陽が柔らかな陽射しを注いでいる。
ぽっかりと空に浮かぶ雲を見ながら、アンジェリークは呟いた。
「『夢が実現する国』は、あの澄み切った空の向こう側にあるんだと思うわ」
「君には、何か実現しなかった夢があるのかな、アンジェリーク?」
ランディが尋ねた。
その口調が・・・アンジェリークに、パティの家の果樹園での出来事を思い出させた。
アンジェリークの胸が、ドキリと音を立てたが。
普通を装って、アンジェリークは答えた。
「もちろんよ。だれだってそうでしょう?夢が全部叶うはずがないもの。ねえ、ランディ。太陽の光が、しおんやきりん草の香りを全部吸い取っていくようだと思わない?」
「俺には一つの夢がある」
ランディはアンジェリークの手を取り、真剣な口調で続けた。
「何度も諦めそうになったけど、俺はまだ、その夢を追っているんだよ。俺は、ある家庭を夢見ている。暖炉で火が燃え、犬や猫がいて、友達の足音が聞こえて、そして・・・」
ランディはそこで言葉を区切った。
アンジェリークは、続きを待った。
「そして、君がいてくれる・・・」
口を開こうとしたが、アンジェリークは口をきくことが出来なかった。
幸福が、胸の中一杯に広がっていった。
「俺は以前、パティの家で君に尋ねたね?それを今、もう一度君に尋ねたら・・・君は、あの時と違う返事をしてくれるかい、アンジェリーク?」
やはり、アンジェリークは声を出すことが出来なかった。
その代わり、思いの丈を込めて、ランディを見上げた。
フ、と。
ランディの口元に笑みが浮かび。
彼はアンジェリークの手の平に口付けた。
「私、あなたがシャルロッテを好きなのだと思っていたわ」
自分の事を棚に上げて、アンジェリークがそう言うと。
ランディはクスリと笑った。
「シャルロッテにはもう、婚約者がいるんだよ。大学でも俺とシャルロッテの間が噂になっていたけど、君に友達以上には思えないと告げられた事もあって、俺は頓着しなかった」
「あんなに馬鹿だった私を、良く好きでいてくれたと思うわ」
「正直、リュミエールが現れた時はもうダメだと思ったんだけれどね。それでも、君が好きだったんだよ・・・。実は・・・ロザリアが連絡をくれてね。『アンジェリークとリュミエールとは何でもないのだから、もう一度頑張りなさいな』、ってさ」
「ロザリアが!?」
アンジェリークは、今はオリヴィエの妻となった、愛すべき青い瞳の友人を思い。
心から、感謝した。
「私、あなたが死に掛かっていると聞いた晩・・・あの時に、分かったの。でも、もう遅いと思ったのよ・・・」
ランディはアンジェリークの手を取ったまま、その頬に優しい笑みを浮かべた。
「でも、遅くはなかった。そうだろう、アンジェリーク?俺は今日という日を、きっと一生忘れないだろうな」
「今日は、私たちの幸福の誕生日ですものね」
アンジェリークも、ランディを見上げて笑った。
「だけど、アンジェリーク。俺は君に、長いこと待ってもらわなくちゃならない」
少し悲しそうな顔になり、ランディは言った。
「学業を終えるまで3年かかってしまうし、その時になっても、君に優雅な生活はさせてあげられない・・・」
「そんなこと、別に構わないわ」
笑顔のまま、アンジェリークは答えた。
「私が欲しいのは、優雅な生活なんかじゃないの。あなたなのよ、ランディ」
「・・・アンジェリーク・・・!」
ランディはアンジェリークを抱き寄せた。
そっと瞳を閉じて。
アンジェリークはランディのキスを受けた。
そして二人は、手と手を取り合いながら。
共に、家路へと向かった。
幸福感で、胸をいっぱいにしながら。
〜 END 〜
これにて、『キングスポートの街角』、完結です
ランリモが幸せになれて良かったです〜vvv
ラストシーンの方は、書いていて本当に楽しかったです!
お付き合いいただいた皆様、そして、マサさんv
長い間、ありがとうございました!!