2003年バレンタイン24



 ドイツ。フランクフルト。
 小ぶりの丸テーブルに頬杖をつきながら、アルベルト・ハインリヒはある人を待っていた。
 待ち人は、ジェット・リンク。
 昨日、久し振りに電話がかかってきたのだ。
『ハインリヒ。明日って、時間空いてる?』
 優しい声が耳に心地良くて。
 ハインリヒは、機嫌良く答えた。
『ああ。明日は一日オフだ。久し振りに、ゆっくりしようと思ってる』
 受話器の向こうで、ジェットの声が弾んだ。
『じゃあさ、オレ、明日そっちに行くから!オレにキミの一日をプレゼントしてくれよな?』
『分かった・・・約束する』
『それじゃ、また明日な。お休み』
 そして、電話が切れた。
 久し振りに会える。
 そう思うと嬉しくて。
 まるで子供のように、その晩はなかなか寝付けなかった。

 今日は、バレンタインデーだ。
 ハインリヒの視線が時折、テーブルの上の小さな箱に注がれる。
 その箱を見つめるハインリヒの瞳は、優しく揺れる。
 いつもあまり素直に言えない分、きちんと意思表示をしようと思って。
 前々から、準備をしていた。
『なあなあ、ハインリヒ!あの時計、すっげーイイと思わねえ?』
 ジェットが、欲しがっていた時計。
 ちゃんとプレゼント用にラッピングしてもらった。
 赤いリボンがついた、小さな箱。

 ピンポン。

 玄関のベルが鳴った。
 ハインリヒは、急いで立ち上がり、玄関のドアを開ける。
 開いたドアの先には、ジェットの笑顔があるはずで。
「ジェッ・・・」
 名前を呼ぼうとしたハインリヒの瞳が、大きく見開かれた。
「やっほー!ハインリヒ、元気にしてた!?」
「ハンス!?」
 ジェットの代わりに現れたのは、溌剌とした表情の少年だった。
 現在ハインリヒが勤めている運送会社の社長の息子で、名前はハンスという。
「えへへ〜」
 ハインリヒを見て、ハンスはニコニコと笑う。
「何だ、何かあったのか?」
 尋ねてやると、ハンスは更に嬉しそうに笑い、
「はいっ、バレンタインのプレゼントだよ」
 差し出されたのは、小さな薔薇の花束。
 色は、真紅だ。
「これは、一体・・・?」
 面食らうハインリヒの右手を掴み、ハンスは有無を言わさぬ様子で花束を握らせた。
 次にハンスは、ハインリヒの左手を取り、恭しく跪いた。
「我が姫、フロイライン・ハインリヒに・・・」
 そして、手の甲に口付けられる。
 ハインリヒの頭の中は、ハテナマークとビックリマークで隙間なく埋め尽くされた。
「・・・・・・」
 動揺のあまり言葉も出ないハインリヒに、
「それじゃあねvまた遊びに来るね〜!!」
 ニコニコと無邪気に微笑みかけ、ハンスは回れ右をして去って行く。
 まるで、嵐のような来訪だった。
 ハインリヒはその後姿を見送りながら、ただ呆然と立ち尽くすことしかできなかった。



「で?キミはそのまま、その花を貰ったってワケか!?」
 ジェットは、イライラと叫んだ。
 そして、聞かなければ良かったと思った。
 今日はバレンタインデーだから。
 どうしてもハインリヒに直接会って、『好きだ』という気持ちを伝えたくて。
 ハインリヒに約束を取り付けて、はるばるドイツまでやってきたのだ。
 いつもは殺風景な部屋に飾られた、薔薇の花。
 飾られている、とはいっても、ガラスのコップに無造作に挿してあるだけだけれど。
 ちょっと気になって、聞いたのがまずかった。
 ハインリヒは困ったような、はにかんだような表情でジェットに話したのだ。
 勤め先の、社長の息子から貰ったのだと。
 しかも、貰い方が悪い。
 跪いて手の甲にキス!?
 それはジェットにとって、非常に許しがたい事実であった。
 本当は、人目に触れないように隠しておきたいぐらいなのに。
 よりによって、キスなどされてしまった!手の甲とはいえ!!!
 目の前にいるこの美しい人には、全く自覚がないのだ。
 自分がキレイで、たまらなく魅力的で、不思議なくらいに他人を惹きつけてしまうこと。
 無自覚だから、性質が悪い。
 だから、一人でドイツに置いておくのはイヤだったんだ!
 ムスッとして黙り込んだジェットの表情を伺いながら、ハインリヒが困ったように呟いた。
「確かにオレも驚いたが・・・何もそんなに、目くじらを立てなくても・・・」
 この人は、本当に呑気だ。
 狙われている、という自覚が、全くないのだ。
 ムキーとヒステリーを起こしかけながら、ジェットは再び叫んだ。
「キミはバカか!?思いっきり、意思表示されてるだろ!!!」
 ハインリヒが、ムッとしたように眉をひそめた。
「バカはお前だ。ハンスは子供だぞ??お前と違って、まだまだ可愛い盛りだ。こんなオッサンに対して、意思表示も何もあるか」
「ハイハイ。どうせオレは可愛くありませんよ」
「何を拗ねてるんだ?」
「キミが、全然分かってないからだろ!?」
「何を?」
「もういい!!」
 バン!
 と、激しくテーブルを叩いて、ジェットは三度叫んだ。
 叫んだ瞬間に、後悔した。
 こんな言い争いをするために、ここまで来た訳ではないのだ。
 二人で、久し振りに一緒に過ごすはずだったのだ。
 ハインリヒの瞳が、すうっと細くなった。
 ジェットは知っている。
 それが、ハインリヒが静かに、しかしかなり深く怒っている時の表情だと。
「・・・帰れ」
 低く、しかしハッキリとハインリヒの口から紡ぎ出された言葉は、ジェットが今、一番聞きたくない言葉だった。
 カァッと頭に血が上った。
「頼まれなくても帰ってやるよ!それじゃあな」
 大股に玄関に歩いていくジェットの背後から、何か小さな物体が飛んできた。
 振り返り、飛んできたそれをキャッチする。
 赤いリボンが結んである、小さな箱。
「オレには必要ないものだからな。お前にくれてやる」
 吐き捨てるようにそう言ってから、ハインリヒはジェットの横をすり抜けて玄関に向かい。
 ドアを、乱暴に開いた。
「さっさと出て行け!」
「ハインリヒ・・・」
 何か言おうとした瞬間に、背中を思いっきり押されて、ドアの外に放り出された。
 激しい音を立てて、ドアが閉まる。
「もう、二度と来るなよ!」
 ハインリヒの捨て台詞が、耳に痛かった。
「チェッ・・・」
 玄関のドアにもたれて、ジェットはハインリヒから投げつけられた箱のリボンをほどいた。
「・・・ウソだろ」
 箱の中身を見たジェットは、小さく呟く。
 しばらく前に、自分が欲しがっていた、時計だ。
「覚えててくれたのかよ・・・」
 手の平で目元を覆い、ジェットは、天を仰いだ。



 今日は、楽しいオフのはずだった。
 ジェットと一緒に、一日過ごせるはずだった。
 それなのに。
 まだ日が高いというのに、ジェットはもういない。
 ハインリヒは、イライラと部屋の中を歩き回った。
 思わず、ハンスがくれた薔薇の花に八つ当たりしそうになったが、花に罪はないと、自分を戒める。
 ジェットが悪いのだ。
 いきなり、突っ掛かってくるから。
 ケンカしたくてした訳ではない。
 ジェットが、いけないのだ。
 そう自分に言い聞かせたが、心の奥がモヤモヤとして落ち着かない。
「ジェットのバカヤロウ・・・」
 心の中の澱を吐き出すように呟くと、怒りは消えて、今度は泣きたい気分になった。
 こんな筈ではなかったと、何度も心の中で考える。
 心を落ち着けようと、コーヒーを淹れて飲んでみた。
 一口コーヒーをすすって小さく息を吐き、思い出したように窓の外に視線を向けた。
 窓の外には、抜けるような青空が広がっている。
 ハインリヒは今更のように気付いた。
 フランクフルトに来てからというもの、仕事に忙殺されてロクに街中を歩いたこともなかった。
「折角だから、出かけよう。コーヒーを飲み終わったら」
 自分に言い聞かせるようにそう言って、ハインリヒはコーヒーのカップを手の中でクルクルと回した。

 コーヒーを飲み終え、コートを羽織り、ハインリヒは玄関のドアを開けた。
 ドアを閉めて外に出た瞬間、何者かに肩を掴まれ驚愕する。
「誰だ!?」
 その手を払いのけ、表情を険しくして振り返った先には・・・降参のポーズをしたジェットの姿があった。
「ジェット・・・。お前、まだいたのか・・・?」
 信じれないような思いで、ハインリヒは囁くような声で問いかけた。
「まだいたのかっていう言い方は、酷いと思うぜ、ハインリヒ?」
 ジェットが、困ったように笑う。
「キミがいつか出てくるだろうと思って。待ってた」
「オレは、明日まで出て来ないかもしれないだろうが!?」
「でも明日になれば、仕事しに出てくるだろ?」
「ドイツの冬を舐めるなよ?風邪をひくぞ、バカ!!」
「心配してくれるんだ・・・?」
 ジェットの琥珀色の瞳が、悪戯な光を帯びる。
 ケンカの最中だ、という事を思い出し、ハインリヒはハッとしてそっぽを向いた。
「だれが!お前なんか、心配するか!!」
「ハイハイ、嬉しいぜ」
「ちょっと待て!オレは、心配なんかしてないって言ったんだぞ!?」
「・・・聞こえない」
 腕を、掴まれた。
 そのまま強く引き寄せられ、体勢が崩れたところを抱きしめられる。
「ゴメンな・・・」
 耳元で、ジェットの声が聞こえた。
「でもオレは、気が気じゃないんだ。キミがいつか誰かに攫われてしまったら・・・って思うと、どうしようもなくてさ。本当は、こうしてオレの腕の中にずっと閉じ込めておきたい・・・」
「・・・馬鹿・・・」
 ジェットの背中に腕を回し、ギュッと抱きしめる。
「オレはもう、大分昔から、お前だけのモノだろう?これだけ長いこと付き合ってきて、そんなコトも分からないのか?」
「分かってる・・・」
 ジェットの手が、ハインリヒの後ろ髪を優しく撫でた。
 そうだ。この髪を撫でる権利を持っているのも、世界でただ一人、ジェットだけだ。
「分かってるけど、時々、どうしようもなく不安になるんだ。キミが、あんまり綺麗すぎて」
 聞いているこっちが恥ずかしくなるような台詞を、サラリと言われる。
「・・・馬鹿」
「うん。知ってる。オレ、どうしようもなくバカだ。特にキミのコトに関しては、救い様がないぐらい」
 ハインリヒは乱暴にジェットの身体を自分から引き離した。
「・・・ハインリヒ、まだ怒ってる?」
「・・・・・・」
 ジェットに背中を向けて、ハインリヒはスタスタと歩き出す。
「フランクフルト市内を見物に行くぞ。・・・お前が・・・どうしてもと言うなら、一緒に連れて行ってやる」
「・・・喜んで!!」
 背後から、ジェットの弾んだ声が聞こえる。
 小走りに駆けてきたジェットが、ハインリヒの横に並んだ。
「ハインリヒ、時計、サンキューな」
 視線の端でジェットの腕に付いている時計をチラリと見やって、ハインリヒは穏やかに微笑んだ。
「・・・その時計、お前に良く似合ってる・・・」
 笑いながら、ジェットがハインリヒに手を差し伸べる。
 ハインリヒがその手を取り、二人は手を繋いで、フランクフルトの街に出て行くのだった。



 二人で手を繋いで、街中を歩く。
 些細なことではあったが、ジェットはしみじみと喜びをかみしめていた。
「なあ、どこに行きたい?」
 そう尋ねると。
 ハインリヒは首を傾げて、少し考えるような素振りを見せた。
「そうだな・・・」
 それから照れくさそうな表情になって、ジェットをチラリと見上げた。
「笑わないか?」
「うん、笑わない」
「絶対だな?」
「約束する」
 コホンと咳払いをしてから、ハインリヒは言った。
「大聖堂のてっぺんに、昇ってみたい・・・」
「うっし。それじゃ、行こうぜ!」
 ハインリヒの腕を引っ張って、ジェットは大聖堂に連れて行こうとしたが。
「おい、ジェット。場所、ちゃんと分かってるのか?」
「・・・(しまった!!!)」
「お前・・・本当にバカだな」
 オレってちょっとカッコ悪いかも・・・。
 ジェットは愕然として、肩を落とした。

 大聖堂の階段は332段あるそうだ、と、ハインリヒは嬉しそうにジェットに話した。
 一回、昇ってみたかったのだと。
 二人で、長い長い階段を昇っていく。
 二人で一緒に歩いてきた人生みたいに長い階段だな、などと、柄にもないことを考えた。
 てっぺんまで昇ると、流石に少し疲れた。
 頬がくっついてしまいそうな程、窓に顔を寄せて。
 ハインリヒが一生懸命、外の景色を見ている
「どした?何か外にあるのか??」
 じっと窓の外を眺めながら、ハインリヒが答える。
「噂によると、ここからアルプスの山々が見えると聞いていたが・・・見えないな」
「ちょっと曇ってきたしな。ま、仕方ないだろ」
 ジェットがそう言うと、ハインリヒは本当に残念そうな顔になり、ジェットに視線を向けた。
「せっかく来たのにな・・・残念だ」
 呟いて再び遠くを見つめたその人の肩を抱き寄せる。
「また、来ればいいさ。二人で。違うか?」
 腕の中で、ハインリヒがクスリと笑った。
「・・・違わない」
 柔らかな銀の髪が、サラリと揺れた。
 その髪に指を絡ませ、キスをして。
「じゃあ、約束しよう。また晴れた日に、二人で一緒にここに来ような?」
 そう、囁くと。
 ハインリヒの氷色の瞳が、ふっと柔らかく和んで。
「ああ、約束だ」
 やっぱり、この人は世界で一番キレイな人だと思う。
「・・・愛してる」
 何の前触れもなく、そう言うと、ハインリヒの真っ白な頬が、薄く紅を刷いた。
 ハインリヒが、そっと視線を伏せる。
 銀色の睫毛に彩られた瞳は、宝石のようで。
「愛してる」
 もう一度そう言うと、ジェットの好きなキレイな笑顔で、ハインリヒが笑った。
「・・・ありがとう・・・」
 ハインリヒの手が、ジェットの頬にそっと触れ、唇に柔らかい感触。
「オレも、同じ気持ちだからな」
 ハインリヒからの、キス。
 ちょっと素直じゃなくて、『愛してる』なんて、なかなか言えない可愛い人からの、精一杯の愛情表現。
 嬉しくて、思わずニヤニヤしてしまう。
「ヘラヘラするなっ!!」
 照れ隠しの、怒鳴り声。
 ジェットの腕から逃れて、足早に昇ってきた階段を降りていく。
 やっぱりキミは、とても可愛い人。
「ハインリヒ〜vvv」
 その後を追いかけて、ハインリヒの手を取りジェットは笑った。
「手、繋いでいこう。一緒に」
「・・・もう、好きにしろ」
 ギュッとハインリヒの手を握りしめると、ハインリヒも軽く握り返してくれた。
 長い長い階段を降りながら、ジェットがウキウキと尋ねる。
「次はどこに行こうか?」
「お前が行きたいところに付き合ってやるよ」



 今日は、バレンタインデー。
 恋人たちがお互いの想いを伝え合う日。
 ジェットとハインリヒの二人が、いつまでもいつまでも。
 ・・・幸せでありますように。



〜 END 〜



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2003年にフリーにしていた、24バレンタインです。
「いつかふたりで」と、少しだけリンクさせてみました(笑)。
私、ドイツ行ったことないんで、大聖堂のてっぺんは、私の想像上のてっぺんです(汗)。
しかも、人がいない設定でイチャイチャしてます。観光地だったらどうしよう・・・。
調べろよ、私!!!!
自分としては、やっぱり24は萌えますね!!かなり萌えですね!!!
などと力説しながら、管理人は去り行きます。
・・・皆さんにも楽しんでいただけたら、幸いです・・・。




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