「乾杯!」
「乾杯・・・」
 グラスとグラスがぶつかり、澄んだ音色を立てた。



 ピンポン、ピンポンと、うるさく玄関のベルが鳴る。
 ハインリヒはベッドの中でもぞもぞと身じろぎした。
(何なんだ、一体・・・)
 仕事から帰ってきて、先ほど寝付いたばかりのような気がしたが。
 ベッドサイドの時計に目をやると、それでももう、夕刻に近かった。
 そんなことをしている間にも、玄関のベルは鳴り続ける。
(ああもう、しつこい!うるさいっ!!!)
 欠伸を噛み殺しながらベッドから滑り降り、ハインリヒは玄関のドアを開いた。
 突然、ハインリヒの目の前に現れたのは真紅の薔薇の花束。
 思わず、目が丸くなる。
「メリークリスマス!!」
 聞き慣れた優しい声がして、花束ごと抱きしめられた。
「寝てるところを起こした?ゴメンな。でもどうしても、キミに会いたくて」
 琥珀色の瞳が、ハインリヒを見つめて優しく揺らめいた。



 ジェットは有無を言わせぬ勢いでハインリヒの部屋に上がりこんだ。
「もう、食事済ませたか?」
「まだだが・・・」
 まだ眠気が覚めずに、いささかボーっとしながらハインリヒは答えた。
「だったら、これからオレと一緒に食事に行こう。決まりな」
 それからジェットは、持っていた荷物の中から、ハインリヒに大きめの箱を差し出した。
「これ着て。もう、出掛けるから」
「はあ?」
 ガサガサと箱を開けると、中には洋服が一式。
 上品な色合いの黒が基調で、まるでシルクのような肌触りだ。
「おい、ジェット。これは一体・・・?」
「オレからのクリスマスプレゼント。絶対にキミに似合うと思ってさ。着てみてくれよ」
 言いながら、ジェットはゴソゴソともう一つの箱を開けている。
 そちらの箱には、ワインレッドのスーツが入っていた。
 どうやら、そのスーツはジェットが着用するらしい。
「ホラ、なにボーっとしてるんだよ?さっさと着替えた、着替えた!」
 ジェットに背中を押され、ハインリヒはハッと我に返った。
「しかし、ジェット・・・」
「早く着替えろよ。キミがその服を着た姿が見たいんだから」
 質問をさえぎられ、ハインリヒは困惑しながらも、その服に腕を通した。

 数分後。
「思ったとおり、すごく似合ってる」
 準備された服を身に纏ったハインリヒを見て、ジェットが感嘆のため息をついた。
 けれども。
 ジェットの方がよほど男振りが良く見えるとハインリヒは思った。
 スーツの下のシャツが砕けた感じで、あまりカッチリしすぎた印象を与えない。
 首に巻いた皮のチョーカーに男の色気のようなものが感じられて、ハインリヒは少しだけ鼓動が早くなってしまったような気がした。
「何?オレに見とれてるの?」
 笑いを含んだ声で尋ねられ、ハインリヒは慌ててジェットから視線を逸らし、照れ隠しに怒鳴った。
「バカっ!そんなワケあるかっ!!」
「オレはキミに見とれてるぜ?」
「バカヤロウ・・・」
 赤くなるハインリヒの肩に、ジェットはコートをかけた。
「さて、出掛けようか?」



 そして連れて行かれたのは。
 ドイツで1・2を争う超高級ホテルだった。
「ジェット、待て!」
「どうした?」
「お前、ここがどんな場所か分かってるのか?」
「もちろん。戦前は、世界で最も美しいホテル、って言われてたんだよな。再オープンしたのは結構最近だけど、やっぱり今でも、一流のホテルだ。それがどうかしたか?」
「あのなあ・・・。その一流ホテルに、どうしてなんの躊躇いもなく入っていこうとしてるんだ、お前は?」
「ここのホテルのレストランで、夕食の予約をしてるから」
 ごくごく自然に、サラリと返された答えは、ハインリヒを驚かすには十分なインパクトを持っていた。
 淡いブルーの瞳を大きく見開き、ハインリヒはジェットを見上げた。
「そんなに驚くことないだろ?オレにだって、クリスマスにキミを高級レストランに連れてってやれるぐらいの甲斐性はあるつもりだけど?」
 クスリと小さく笑いを漏らし、ジェットはハインリヒの手を引いた。
「それでは参りましょうか、姫君?」
 いつもなら、『誰が姫だっ!?』と怒鳴るところだが、ハインリヒは大人しく、ジェットに手を引かれた。
 驚きが大きすぎて、言葉も出てこなかったのだ。
 ドイツ人なら誰もが知っている、このホテル。
 自分には過ぎた贅沢だと考えていて、まさか足を踏み入れる日が来るとは思っていなかったから。

 落ち着いた感じのする外観と違い、ロビーは随分とゴージャスに感じられる。
 自分が場にそぐわないような気がして、ハインリヒはそっと、隣のジェットを見上げた。
 ジェットはハインリヒの手を引いたまま、颯爽とホテルのロビーを闊歩する。
「ハインリヒ」
 名前を呼ばれて、ドキリとした。
「キミは多分、ここにいる誰よりもこの場に相応しい人物だと思うぜ?誰よりも気品があるようにオレには見えるけど?」
「・・・・・・ありがとう」
 ジェットの言葉に、心が少しリラックスしたような気がした。



 それからホテルに入っているフランス料理の店で食事をして。
 ジェットに連れられて、ロビーの奥にあるバーまで連れてこられた。
 恐らく高級品であろう薄いグラスに注がれるカクテル。
 ジェットがグラスを目元に持っていき、悪戯っぽく笑う。
「キミの瞳に、乾杯。なんて言ったら、怒るかな?」
 怒るどころか、こんなにまでしてもらっていいのだろうかと思う。
 自分は、ジェットに何もしてやっていないのに。
 そんなハインリヒの気持ちを他所に、ジェットはまるで、自分がここにいるのは当然!
 というように、自然にその場の空気に溶け込んでいた。
 その姿には大人の余裕のようなものが感じられ、ハインリヒはそんなジェットを誇らしく思った。
「ハインリヒ」
 不意に、名前を呼ばれた。
「気分はどう?」
 頬杖をつきながら、ジェットがハインリヒに笑いかける。
 ハインリヒを見つめる琥珀の瞳が、優しく細められた。
「ひどくいい気分だ・・・」
 正直に、ハインリヒは答えた。
「こんなにいい思いをさせてもらって、良いんだろうか?オレはお前に、何もしてやってないのに・・・」
「ふーん。ハインリヒは、そんな風に思ってるんだ?」
 ジェットの指が伸びてきて、ハインリヒの前髪にサラリと触れた。
 そして、ひどく真面目な表情で言葉を紡いだ。
「今日という日に、キミがこうしてオレに付き合ってくれる。オレの側にいて、笑ってくれる。それだけで、もう、他には何もいらない。オレにとっては、今の一時が、キミからの最高のプレゼントだ」
 赤面モノの台詞だ。
 そう思ったが、今のハインリヒには、その言葉が嬉しかった。
 それからジェットは、パチリとハインリヒにウインクして見せた。
「なんて、カッコつけてみたけどな。実は、もう一箇所、オレに付き合って欲しい場所がある」
「お前が望むなら、どこへだって付き合ってやる。何だ、どこに行きたい?」
「ここのホテルの、スウィート」
 今日は驚きの連続だった。
 けれども、ハインリヒはまた、驚いてしまった。
「そんなに驚いた?キレイな目から、瞳が零れ落ちそうだけど」
「ジェット・・・」
「おっと。今はイエスかノー以外の言葉は聞きたくないんだけどな?まだまだ夜は長い。キミの今夜を、オレにプレゼントしてくれよ」
「バカヤロウ・・・」
「返事は?」
「・・・Ja・・・」
 消え入りそうな声は、しっかりとジェットの耳に入ったようだ。
 そして、ジェットは笑う。
 ハインリヒは我知らず頬を赤らめた。
 ジェットの笑顔が、好きだと思う。
 その笑顔を見ているだけで、自分も幸せに笑うことが出来るから。
「今夜はキミを寝かせたくないな?」
 ハインリヒはコツンと、ジェットの肩に額を当てた。
「・・・好きにしろ。今夜は、特別だ・・・」
「ハインリヒ・・・」
 ジェットの唇が、ハインリヒの髪にそっと触れた。
「そんな可愛いこと言ってくれると、オレ、今夜は張り切るぜ?」
「・・・少しは手加減しろよ?」
「・・・・・・善処はする」
 少々情けない声に、ハインリヒは、思わず吹き出した。
「何がおかしいんだよ?」
「いや、何でもない・・・」
 そうだ、夜はまだまだ長い。

「オレの全部を、お前にくれてやるよ・・・」
 ジェットには聞こえないように、低く低く呟いて。
 ハインリヒは、カクテルグラスを傾けた。


〜 END 〜  


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2004年にフリーにしていた
クリスマス24です。
(イラスト・SS共に)


愛だけが先走り、上手く形に出来ず。
とにかくラブ!
そして、リッチな聖夜(笑)!!
を意識したのですが、
討ち死にした気分です・・・。
一のイラストの雰囲気を壊さないように
書きたかったのですが・・・。
しかも、いいところ(?)で終わりました。
続きは裏部屋・・・じゃなくて、
貴方の心の中で(爆)。
ちなみに、このSSには題名がありません。
皆様のお好きなお題をお付けください。

ふみふみ拝