■ めりる様 ■
Wiegenlied
これは何の冗談だ。
004は死の商人、ブラック・ゴースト(BG)でいつもどおり、実験漬けの日々を送っていた。送り込まれた先の実験場もいつものごとく、荒涼とした大地と乾いた蒼穹(そうきゅう)が生ける兵器である004を取り囲んでいる。まだ姿を見せない〈敵〉を待ち受け〈戦闘〉を前にして否も応もなく強まる高揚感を胸に抱き、004は一人たたずむ。
・・・いや、正確には004は一人ではなかった。今回は複数の被験体が投入される、合同実験だからだ。陽は水平線の東の彼方に顔を出し、地面に004たちの長い影を形づくっている。しかしそれはどう見ても、一人ぶんのものでしかなかった。ただ、胸のあたりが異様にふくらんでいるのが目に際立つ。
004の胸にわだかまっているもの――それは、明るい灰色のふわふわとした巻き毛を持ち、その前髪が長く伸びて目を半ば覆い隠し、小さな鼻とふっくら薔薇色にふくらんだ頬をして、ときおりもごもご動くおしゃぶりをくわえ、もみじの手を両方とも丸く握りこみ、死神の鋼鉄の右腕に体全体を丸く収めている、一人の可愛らしい赤ん坊――すなわち004と同じゼロゼロ・ナンバーを持ち、同じくBGの実験兵器である001だった。
004はその日も朝一番に〈性能実験〉の実施を告げられこの実験場へ連れてこられ、道すがら実験のメニューを知らされた。合同実験であることも、相手とは実験場で合流することも。今となってみれば、その時点でけげんに思うべきだった。いつもの実験相手、002〈ジェット〉や003〈レーダー〉なら、研究棟で合流したのちに同じ輸送機で運ばれるのが常なのだから。しかし今日はその相手はあとから別機でやってきた。白衣を着た研究員から荷物のようにぞんざいな手つきで文字どおり手渡された〈それ〉を今日のお仲間と認識するには、004は一定の時間を要した。
これは何かの冗談か、と右手で001を抱いた004がその研究員に問うてもいらえは返らず、004はさらにずっしり重い背嚢(はいのう)を放り投げられ、それを左手であわてて受け取る間に輸送機はさっさと帰還してしまった。背嚢を開けてみればいつもの予備の、マシンガンの弾倉(マガジン)やらミサイルの追加弾やらあるいはスーパーガンのエネルギーパックに混ざって、粉ミルクやら哺乳瓶やらあるいは替えオムツの束が、いかにも当然のような顔をして収まっていた。
「・・・。」
004は条件反射で背嚢の口を閉じそれを背負ったあとは、右手にちんまり抱えている001のほかは変わりばえのしない、実験場を見渡した。いつもならそろそろ実験が開始される頃合いだが、今日はまだその気配すら見当たらなかった。
《疑問に思ってるなら、答えてあげるけど。》
呆然としている004の頭の中で、唐突にトーンの高い声が響いた。001のテレパシー(心話)だ。もう慣れていたはずだが004は思わず仰天しつつ、自らのふところの赤ん坊に目を落とす。
《要点をいえば、キミの自業自得だよ。ボクと組ませれば、キミが〈敵〉から逃げ回るんじゃないかって。ここの研究員たちにしちゃ、なかなか良い思い付きだね。》
001がいわゆる万能エスパーなのはわかっていた、なにせ004が起動してすぐ、一番にコンタクトを取ってきたのが彼だったから。今のように頭の中へ直接、声が響いてきたのだ。感情の片鱗も見せない、冷静沈着で大人びた物言いをする彼が実は生後間もない赤ん坊の姿であることも、のちに聞かされたし対面もした。しかし、こうして身じろぎしもごもごとおしゃぶりが動いていても、このテレパシーが目の前のこの赤ん坊から発せられているとは今でもとうてい信じられない。
「どういう意味だ。」
《そういう意味さ。あるいは、嫌がらせかもね。キミがあまりにも、非協力的だから。こういえばどう?ボクは巻き込まれたんだよ、キミのわがままに。》
「・・・。」
004はさすがに二の句が継げない。しかし001は004から顔を反らし、天高くを見つめるそぶりをした。
《おしゃべりはここまで。来るよ。》
ヒュルヒュルヒュル・・・、と風を切って飛来する砲弾が着弾する前に、004は身軽にターゲット地点から跳びのいた。いつもなら進んで弾道のえじきに身を任せるところだが、今回ばかりはそうもいくまい。鋼の体に当たる柔らかく温かい感触。戦場とはもっとも似つかわしくないだろう、ひ弱な存在が、いま自分を唯一の庇護としているのだ。
004は最初に001を抱いていた冷たい鋼の右手を、見た目だけは似せてあるが手ざわりはあまり右と変わらない、人工皮膚の貼られた左手に持ち替え抱きなおした。それは武器としての右手が必要だからだ。次々に到達する砲弾の信管を、ターゲットアイで確実に捕捉し右のマシンガンで屠(ほふ)っていくがキリがない。
「くそ。大元はどこだ?!」
《方位NEN-141、距離41302。でもそこへ駆けつけても離されちゃうよ。指向性移動砲座だけど、動作がランダムで予測は不可能だもの。》
「何?!わかるのか、おまえ。」
《あ、いま方向がSE寄りに変化したよ。その間隔も乱数で組まれてるみたいだね。》
「オレの脚で追える速度か?」
《まぁね。行ってみる?》
「でないとおまえが煤まみれになっちまう。」
《あ。その前に。マフラーを使ったら?》
「何だ?」
《キミの荷物になったほうがボクはお荷物にならずにすみそうだ。》
004は001の指示で、お仕着せられた赤い長いマフラーを器用に結び合わせた。背嚢を背負っているので、004は001をうつぶせに自らの胸に押し付けて自分の胴体にしっかりくくり付けた。ちょっとやそっとでは外れないことを確認すると、004は001の予測する方角へ駆けだした。途中敵の動きに合わせて何度も方向転換する。そのたびに001の小さな腕や脚も揺れた。
《ボクが邪魔ならここに放り出していってもいいけど、とりあえずキミはこれで両手が使えるだろう?》
「赤ん坊はおとなしく抱っこされてろ!しがみつけるならそうしておけ。」
しばらくの間、まだ見ぬ敵との鬼ごっこを繰り返していた004の視界の端に、探索(サーチ)モードに設定しておいたレーダーイヤーの捕捉データが出現した。目の前の小山のような大岩の向こうを高速で移動する物体が存在する。004は瞬時にそれを標的としてロック・オンした。連動して射程距離内に入った脚のマイクロミサイルが発射可能(スタンバイ)になり、004は機械人形のように一連の動作を自動的にこなし、岩山の向こうへ膝から煙を吐いた。
同時に爆発の衝撃から001を守るため、004はミサイル発射の反動を利用してくるりと向きを変え岩を背にする。一瞬後、まずは地面を伝う衝撃波、やや遅れて空気を伝う爆発音が二人を襲った。004は両手で潰さないように優しくしかししっかりと001の頭を抱え自らの胸に押さえつけ、ふりそそぐ金属片や岩石片を広い背中で受け止め、また001の鼓膜が破れないように耳をふさいでやった。
ひととおりの衝撃が収まると、荒野は静寂を取り戻した。日は高く、空は青く澄みきり乾いた風が二人の頬を通り過ぎる。ここにはあまりにも何もなかった。現実に戦闘実験をこなしているにもかかわらず、004はふと、自分がいまどこにいるのかわからなくなりそうだった。
《実験も一段落したようだね。次のフェーズ(phase)へ移るには間があるだろう。小休止。ミルクをちょうだい。ついでにおしめも替えて。》
なおも001を押し付けてじっと立ち尽くしている004の胸元で、001がおしゃぶりをもごもご動かした。004は呪縛が解かれたかのように顔を下げ、まじまじと001を見つめてから、その場に座り込んだ。背嚢を下ろし中から必要な物をごそごそと取り出す。赤ん坊のオムツ替えもミルクも経験はない。001の指導を受けながら、おっかなびっくり、おそるおそる手探りでこなしていく。004はオムツを替えたあと、おぼつかない手つきで哺乳瓶をにぎり、001に授乳をはじめた。001はこくこくと喉を鳴らしながら哺乳瓶の中身をけっこうな勢いで減らしていく。
《なかなか上手いじゃない。良いпапа(パーパ)になれるよキミ。》
「おほめにあずかり、どうも。」
相手が赤ん坊とあってはいつもの毒舌を吐くわけにもいかない。ぶすっと渋面(じゅうめん)を作りながら、004も片手で流動状の携帯食を摂った。004は常の実験では糧食を摂ることはないが、今日は違った。001を守り抜くためには必要な行為だ。途中で休みながらそれでも哺乳瓶一本ぶんのミルクを空けきった001に004は尋ねた。
「お代わりが要るのか?」
《もうごちそうさま。あとは、げっぷ。》
「げっぷ?」
《やったことない?背中をさすってよ。》
やったことはないが見たことはあるらしい004は見よう見まねで001を抱え上げ肩に乗せると、背中をなでさすったり、軽く叩いたりしてみた。するとその拍子に001の口から生温かい白いものが流れ出た。
《けぷ。下手くそだなぁ。気分悪くなって戻しちゃった。》
「・・・・・・。」
自分の汚れた首元のあたりは見ないようにして、004は極力優しく001を下ろして抱きなおした。なぜか001の顔が見れない。そんな004に001はまったく違うテレパシーを投げかけてきた。
《つまらなさそうだね。ねぇ、こう考えれば?これはただのゲームさ。戦闘じゃないよ、親子ゲーム。》
004ははじかれたように下を向き001を見つめた。
《だって、みんな言ってるもの。ガモ博士よりキミのほうがよほどボクの父親に見えるって。》
「それは・・・、」
指摘されれば、004と001の外見は似ていないと言えなくもなかった。緑の防護服と赤いマフラーという、服装が同じなのは同じ実験体へのお仕着せだとして、どちらも無彩色系の髪をしているし肌の色も透けるくらいに白い。しかし色合いや顔かたちよりもなお、何か雰囲気のような、似かよったものをこの二人は身にまとっていた。
ガモ・ウイスキー博士が実の息子であるイワン・ウイスキー、つまり001を改造してこのBGへ身を投じたのは、実験体にすぎない004ですら周知している暗黙の事実だった。その冷え切った親子関係については、さまざまな邪推や憶測が乱れ飛んでいた。
「結婚もしていないのにいきなり擬似父親か、オレは。」
《不服?》
「・・・別に。」
《ボクも悪くないと思うよ。ボクとキミは、同じ匂いがするもの。》
「ミルクの甘い匂いと、鉄さびの苦い匂いか。全然違うぞ。」
《違う。同じ人外の力を持たされたものの匂いさ。ボクもキミも、望んで持ったわけじゃない、人類の役に立つともあまり思えない力。・・・そうでしょう?》
004はまた001から目を離した。地平線を見つめながら、004はがらりと話題を変えた。
「それはそうと、さっきは助かった。おまえさんの能力は003並みだな。」
《どうもありがとう。でもボクには003と違って致命的な欠陥がある。》
「欠陥?」
《それはそのうちわかるよ。さぁ、休憩時間はおしまい。》
001の予言はすぐに現実のものとなった。004は001をしっかりマフラーで結わえなおすと、戦闘体勢に入った。
実験は際限なくつづいた。それはふだんの004単独、あるいは上空から誘導してくれる002や的確に指示してくれる003を加えての合同実験よりも、実は逆にかなり効率が良かった。生身の赤ん坊を巻き込むのはやはり、血も涙もない死神といえども気分の良いものではなかったらしい。004はとにかくメニューをこなして一刻も早く実験を終わらせたかった。しかしそれは持たされた荷物から推測するに、最短でも数日を要することは明白だった。一晩経ち二晩目をやり過ごし、三日目の朝を迎えたとき、さすがに004は不審に思いはじめた。
「また眠れなかったのか?」
004は戦闘実験中は必要最小限の睡眠しか摂らない。何か異変があればたちどころに目が覚める。ところが、004が細切れの睡眠を繰り返す中で、001の眠った姿を一度も目にしていないことにようやく気が付いた。子育てのない彼のとぼしい知識からしても、赤ん坊というものは、うつらうつらと浅く短い眠りを繰り返すものではないのか。しかし001にはそんなそぶりは一切見当たらない。寝ているかと思っても急に実験の情報をテレパシーで知らせてきたりする。
「001。おまえさん、もしかして・・・眠らないのか?」
《・・・気のせいだよ。と、言っても、キミには通用しないね。ボクの睡眠については気にしないでくれたまえ。》
「そんな言い訳がオレに通用するとも思っていないだろうな。」
《ボクは並みの赤ん坊じゃない。理由はそれでじゅうぶんでしょう?》
「・・・。」
ぎろりと刺すような氷の瞳の視線を受けても、001はおびえて泣くこともない。つくづく可愛げのない奴だ、と004は舌打ちしながらも、001がそれ以上答えないのであきらめた。そんな二人を見ていたのかどうか、その日の第一弾がまもなく襲来してきた。
『お守り役を004に?女性の003じゃないのか。』
《いや。ボクは004がいい。でないと実験には協力しない。》
004の胸にしっかりと結わえ付けられている001は、それでも吸収しきれない衝撃をかすかに感じながら、この実験をガモ博士に持ちかけられたときのやり取りを思い出していた。
『おまえの了解を得られればこちらは何も不都合はない。わかった、ギルモア博士におまえと004の貸与を要請する。これで非日常時の比較データが採れれば良し、それを元にゆくゆくは昼夜の操作ができればしめたものだ。』
《これで死にたがりの死神が実験に協力的になってくれれば、しめたものだね。》
『よそのプロジェクトチームの成績を上げてやってどうする。おまえはちゃんと眠れるようになって帰ってくればそれでいいんだ。』
001の独特の生体リズム―― 一ヶ月を一日に見立て、昼が十五日、夜が十五日続く ――は、001の改造手術後から発生したらしかった。それが彼の超能力(ESP)の原因なのか結果なのかは、彼の創造主たるガモ博士ですら解明できていなかった。それを突き止められれば、ガモ博士の所属するミュータント・プロジェクトにとってこれ以上の成果はない。ガモ博士はあきらめきれず、すでにサイボーグ部門に身柄が移っていた001の実験を特別に願い出て、今回それが認められたのだった。
今日も二人はなんとか生き延びた。陽が暮れると満天の星が輝きを増し、その真ん中に明るい月が浮かび上がった。
《今夜は満月かな。月がいやに大きく、はっきりしてるよ。》
「そうか。」
004は油煙と砂ぼこりで真っ黒に汚れた001の髪や顔や小さな拳や、露出しているところを湿らせた柔らかい布でふき取ってやった。それからミルクとオムツをすませてしまうと、もうあとは明日に備えて眠るだけとなった。といっても夜中にもいつ実験が再開されるかわからない、三日目の夜だ。
朝の経緯(いきさつ)をまだ覚えているらしく、今夜は004はすぐに休もうとはしなかった。001を両手で包むように抱いたまま、あやすように優しくゆっくりと揺らしている。しばらくそうしていたがそれでも001が眠る様子がないので、やがて004の腕の動きが止まり、ふうっと深いため息をつくのが聞こえた。
《ボクのことならかまわないで、先に眠りなよ。でないと身が保たないよ?》
004を気づかう001のテレパシーが届いたのかどうか、004は沈黙のあと、ぽつりとつぶやいた。
「ここにピアノがあれば弾いてやれるんだが。だみ声で我慢しろよ。・・・いや、あったとしてもこの手じゃもう無理だな。」
《なに?》
「赤ん坊は子守歌で眠るものだと古今東西、相場は決まっているだろう?」
そうして004はゆっくりと、ささやくように歌いはじめた。彼の少し低い、かすれた歌声はさえぎるものもなく、荒野にしみわたっていく。
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein
Es ruh'n Schaefchen und Voegelein
その歌は有名な子守歌で、001は知識として知ってはいたが、父親に歌ってもらったことはなかった。母親は歌ってくれたかもしれないが記憶には残っていないし、これから歌う機会はもう永遠(とわ)に失われている。
Garten und Wiese verstummt
Auch nicht ein Bienchen mehr summt
001は小さくてつぶらな目を閉じた。
――たぶん、これは同情でも憐憫でもない。仲間としての契りの証だというなら、ボクは喜んで受け取ろう。
Luna mit silbernem Schein
Gucket zum Fenster herein
月光を逆光に透かして銀色に光る髪をゆっくりと揺らしながら、004は001を抱いて途切れることなく歌いつづけた。
Schlafe beim silbernem Schein
Schlafe, mein Prinzchen, schlaf ein
Schlaf ein, schlaf ein
砲弾の嵐を伴奏に、心地よいオルゴールのように、荒野にかすかに響く死神の歌声を、電子頭脳を持つ赤ん坊はいつまでも聞いていた。
〜END〜
◆コメント◆
誕生日話でなくてすみません。
まだお互いをよく知らない頃の話です。
親子な14が(も)好きです。
どちらが面倒見られてるんでしょうね。
引用したドイツ語は「モーツァルトの子守歌」です。
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