雨音の中(後編)




 しとしとと地面を濡らす雨は、まるで降り止む事を知らないようだった。
 ここ数日、ずっと雨が降り続いている。
 ハインリヒは、先日グレート共に来訪した家を、再び訪れていた。
 伯爵夫妻が留守にしたこの隙を除いて、シュヴァルツが出てこられるのは今しかないと、グレートから連絡があったのだ。
 制服から正体が知れるのを憚って、レインコートを着たまま、ハインリヒは先だっての離れにスルリと身体を滑り込ませた。
 離れの襖が閉じられてから、雨に濡れて重くなっているコートを脱ぎ捨てる。
 目隠しの意味もあるのだろう。
 部屋の窓はしっかりと閉じ切ってあり、かなり蒸し暑く感じられた。

 ・・・シュヴァルツがやって来た事は、廊下を歩いてくる規則正しい足音で知れた。
 襖が開き、少し前のハインリヒと同じように、スルリとシュヴァルツが部屋に入ってくる。
 久しぶりに見たシュヴァルツは、少しやつれて見えた。
 そして、その顔には・・・何の表情も浮かんでいなかった。
「顔を見るのも久しい気がするが・・・元気にしていたか?」
 感情の籠もらない平淡な声で、シュヴァルツは続けた。
「アルベルト。私は既に、内親王殿下のモノ。その事は重々承知の上で、グレートに無理難題を押し付けたのだろうな?」
 しっかりと、ハインリヒは頷いた。
「分かっている。だが、それと同じように、オレはお前のモノだ。・・・違うか?」
 何の表情もなかったシュヴァルツの頬に、ふと、笑みが浮かんだ。
 そして、シュヴァルツは口を開いた。
「違わんな。だが、お前は・・・気付くのが遅すぎるとは思わんか?」
「・・・・・・・・・・・・」
 互いに言葉を失い、見つめあう。
 様々な感情を交えた視線が、複雑に絡まり合った。

「シュヴァルツ」

 ハインリヒが呼んだ声を何かの合図のようにして。
 スイ、とシュヴァルツの手の平がハインリヒに向かって伸びた。
 頬に触れてきた褐色の手の平は・・・この暑いさなかに、驚くほど冷たかった。
 愛おしげに頬を撫でられた後、項をグイと引き寄せられて、口唇が重なった。
 あの雪の朝と違い、シュヴァルツの口唇が冷たいのは・・・己の所為なのだろうか?
 そんな事を思いながら、ハインリヒは目を閉じてその口付けを受け止めた。

 窓の外、雨音が激しくなっていく。

 抱きしめてくる腕の力強さ。
 まるで深い海をたゆたうようような・・・不思議で眩暈がするような感覚。
 たまらず、ハインリヒはギュッとシュヴァルツの背中に腕を回した。



 事が終わり、互いに少し落ち着いたと思われた時分に。
 シュヴァルツはクシャリとハインリヒの撫でてから上体を起こした。
 その動きを目で追っていたハインリヒは、シュヴァルツの瞳の中を暗い影が過ぎって行くのを見た。
 自分たちが犯した罪の重さが、その暗い影の中に感じらる。
 しかし、ハインリヒは後悔などしていなかった。
 シュヴァルツはどうなのだろうか?
 瞳の中に暗い影を走らせるぐらいだ。
 後悔・・・しているのではないか?
 そんなハインリヒの思いを他所に、シュヴァルツは畳の上に無造作に落ちているシャツを手に取った。
「風邪をひくといけない。さあ」
 シャツを差し出され、ハインリヒがそれを手にしようとすると。
 軽くハインリヒを押し止めてから、シュヴァルツはシャツの中に顔を埋め。
 そのまま、深く息を吸い込んだ。
 手元に戻ってきたシャツに腕を通すと、シャツから微かに、シュヴァルツの香りがした。
 互いに身なりを整え終わると、シュヴァルツがパンパンと手を鳴らした。
「お呼びでございますか、若様」
 音もなく襖が開き、グレートが顔を出した。
「乱れがないかを確認しろ」
「承りましてございます」
 グレートがシュヴァルツの髪の乱れやらネクタイやらを直している間、ハインリヒは所在なくその場に佇んでいた。

 雨は、止まない。

 やがて仕度が終わり、ハインリヒとシュヴァルツは黙って向き合った。
「ボグートの若様。お暇を頂くお時間でございます」
 二人から僅かに下がった場所で、グレートがハインリヒに顔を向けた。
「我輩、お約束は果たしました。今度は、若様がお約束を果たす番でございますぞ。例の手紙を、お返しいたしたく存じます」
 真っ直ぐに、ハインリヒはシュヴァルツを見つめた。
 紅の瞳が強く光を放ち、ハインリヒはハッとした。
 シュヴァルツも、後悔などしていない。
 その目の光には、ある決意が見られて。
 それに勇気付けられ、ハインリは毅然とした態度を崩さぬままに言い放った。
「手紙は返さない。また、こうして会いたいからだ」
「若様・・・!!」
 グレートの言葉には、怒りが籠もっていた。
「また会いたいなどと仰って、このままでは恐ろしいことになるのが分からぬ若様ではございますまい。身の破滅は、我輩一人では済みませんぞ?」
「グレート」
 静かな声で、シュヴァルツがグレートを呼んだ。
 それはまるで、何かが吹っ切れたかのような声だった。
「致し方あるまい。アルベルトがあの手紙を返そうと思うまで、こうして会うしかないと思わんか?お前と私を救う道は、他には無いと思うのだがな。お前が、私をも救おうと思ってくれているのなら」
 それだけ言うと、シュヴァルツは実に優雅な仕草で立ち上がり、軽くハインリヒに会釈をしてから部屋を出て行った。
 慌てて、グレートが後を追っていく。

 蒸し暑い部屋に一人取り残されて。
 ハインリヒはただ、屋根に打ち付ける雨の音をじっと聞き続けた。



  〜 雨音の中・了 〜




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はい!黒様&ハインさんの初めて物語でございました〜。
ご本家は、本当に美しく官能的に書いていらっしゃるのですが、
私は到底及ばずに、申し訳なく(しかもそーゆー場面を思い切り割愛(笑))。
イイんだ。ここら辺でお気に入りのシーンは、
シャツに顔を埋めて匂いを吸い込むとこと、手紙は返さん!
の場面なんだから。
色々とスミマセン。
性別の壁って、本当に高いと思う・・・。





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