鎌倉の夜(後編)
東京への帰り道で、ジェットとシュヴァルツは再び、車内で二人きりになった。 行きの道中とは打って変わって饒舌になった。 何事にも動じないように思われるこの男も、流石に緊張していたのだろうかと、ジェットはぼんやりと考えていた。 不意に。 「ああ、アルベルトに言い忘れたことがあったな・・・」 独り言のような呟きに、ジェットは律儀に反応した。 「良かったら、オレが承りましょうか?」 スイ、とシュヴァルツの視線がジェットに当てられた。 「そうだな・・・。では、こう伝えて欲しい。グレートが先日、お前の家の執事に会って、お前の嘘が分かってしまった、と。そう言えば、アレにも分かろう」 ジェットは軽く頷き、その内容については深く触れなかった。 口元を緩ませ、どこか穏やかな表情でシュヴァルツが口を開いた。 「それにしても、アルベルトは幸せな奴だ。お前のような真摯な友が傍らにあるのだからな。私には、友人と呼べるような存在など皆無だ」 言い終えたシュヴァルツは、軽く俯いた。 ジェットは、何も言うことが出来なかった。 何事においても完璧を期しているこの男の孤独を垣間見てしまったような気がしたからだ。 まるで、見てはいけないものを見てしまったような・・・。 口唇の端を歪めて、シュヴァルツが自嘲気味に笑う。 「まあ、アルベルトの友としては、私のことをさぞかし悪い男だと思っているのだろうが・・・」 「そんなことは、思ってもいません・・・!」 慌てて、ジェットは否定した。 二人の関係は罪だ。 それを重々承知していながら。 夜の闇に消えていった二人の後姿はどこまでも美しく、ジェットの脳裏に焼きついていた。 「そうだな。このような事を言うべきではないのかも知れん。アルベルトとの関係を、私が少しも後ろめたく思ってはいないのだから。私は己の行動に、ただひとつの後悔もないと言い切ることが出来る」 シュヴァルツが一瞬、まるで夢見るような目付きをした。 月明かりの美しい今宵、ハインリヒと共に過ごした時間に想いを馳せているのだろうと思い、ジェットは礼儀正しく黙っていた。 不意に、シュヴァルツの視線がジェットを向いた。 「お前にこのようなことを言うべきではないと思うが・・・。私のやっていることが、内親王殿下への裏切りだということは、重々承知している。だが、黙って見ていて欲しい。いずれは、決着のつくことなのだから」 強い光を湛えている紅の瞳を、ジェットは真っ直ぐに見つめ返した。 「覚悟を決めている、ということですか?」 「もちろん、覚悟はしている」 「ハインリヒも・・・そうだと思います」 「お前に迷惑をかけるべきではない。それも、承知しているのだが・・・」 シュヴァルツが軽く俯いた。 突然に、ジェットはこの男を理解したいと思った。 ジェットに、ひどく冷静な横顔を見せている、この男を。 しかし、それはとても難しいことに思われた。 「貴方は先ほど、覚悟をしている、と言いましたね?」 シュヴァルツから目を逸らさずに、ジェットは尋ねた。 「教えて欲しい。それと、『いつかは決着がつく』と言う気持ちとは、どのように繋がっているのかを。決着がついた時には覚悟は遅く、覚悟しだいで決着をつけることも出来るのではないかと、オレは思うのですが」 一気に言ってから、ジェットは一息ついて続けた。 「分かっています。オレの質問が、残酷なものだというのは」 「よくぞ聞いてくれた」 シュヴァルツは躊躇なくジェットの質問に応じた。 その落ち着いた表情を、少しも乱すことなく。 「私が決断すればすぐに、この不毛な関係を終わらせる事が出来ると。お前は、そう考えているのだな?アルベルトの友として、お前がそう言うのは尤もだ。私が生きている限り終わらせることが出来ないのなら、命を捨てて・・・」 シュヴァルツの言葉が途切れた。 ジェットは黙って、続きを待った。 「やがて、時期がやってくる。私とアルベルトが、それを望もうと望むまいと。その時、私は誓っても良いが、アレに対する未練を見せないつもりだ」 目の前にある紅い瞳は、限りなく不思議な色を湛えて揺れていた。 「どんな夢にも終わりがある・・・。永遠などという言葉は、まやかしに過ぎない幻想だ。私は、それを知っている。しかし、もし永遠があるというのならば・・・。アルベルトと共に在るひと時が、それなのだろうな。リンクよ、お前にもいずれ、それが分かるようになる」 そう言って小さく笑う姿に、ジェットはハインリヒがかつて、シュヴァルツに対してひどく大人気ない態度を取っていた理由が分かったような気がした。 「さっき貴方は、オレに迷惑をかけるべきではないと言いましたね?あれは、どいういう・・・?」 「お前は立派に正しい道を進んでいく男だ。それを、こんなことに関わらせてはいけない。それについては、アルベルトが悪いのだが・・・」 「オレをそんな正しい人間だと思って欲しくないな。今夜、オレは既に罪に加担してしまったのだから」 「その様な事を言うものではない!」 強く、シュヴァルツに遮られた。 「罪は私とアルベルト、二人だけのもの・・・」 それはジェットを庇って発せられた言葉のように思われたが、その実はジェットを疎外する言葉なのだと、ジェットは敏感に感じ取った。 シュヴァルツとハインリヒとが形成している、たった二人だけの小さな世界。 そこには、何人たりとも足を踏み入れることは出来ないのだ。 シュヴァルツが急に、体勢を低くした。 「気分でも・・・?」 チラリとジェットに視線を向けて、シュヴァルツは呟いた。 「すまんな。気をつけていたつもりだが、靴にまだ砂が残っているような気がしてならん。砂を残したまま帰れば、厄介なことになろう」 褐色の指先が、黒光りしている黒革に触れた。 何となく、ジェットはシュヴァルツから目を逸らし、窓の外の風景を見つめた。 空はうっすらと、赤みを帯び始めている。 さらさら・・・。 砂の零れ落ちる音が耳に届き、ジェットは目を閉じてその微かな音を聞いた。 〜 鎌倉の夜・了 〜 |
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
この鎌倉の夜のエピソードは、私が物語の中で一番好きな部分です。
特に、黒様とジェットの会話の部分。
「罪は私とアルベルト二人だけのもの・・・」の辺りは最高に好きです。
映画版で、この台詞とこの場面が割愛されてしまった事が、
未だに不満ですぞ!!
まあそれが原因で、この部屋を立ち上げる事になったんですがね(笑)。
ブラウザを閉じてお戻りください。