鎌倉の夜(前編)





 夏休みがやってきた。
 なかなか日本の生活になじめないシャムの王子達の心を慰めるために、ボグート侯爵は鎌倉の別荘に王子達を招き、その相手にハインリヒを付ける事を決めた。
 父侯爵から役目を申し遣ったハインリヒは、ジェットも同行させて良いという父の許可を得て、鎌倉へと向かった。



 別荘のテラスからは、青く輝く海を見ることができた。
 真夏の太陽は強い日差しを半ば強制的に青年達に注いだ。
「素晴らしい場所だね!」
「日本の夏がこんなに美しいとは思わなかったよ!」
 王子達は口々に叫びながら、テラスから身を乗り出した。
「そんなに身を乗り出すと、危ないですよ」
 穏やかに王子達を嗜めながら、ハインリヒは言った。
「着いたばかりでお疲れでしょう。一休みしたら、庭をご案内しましょう」
「どうして休む必要があるんだい?ボク達は、こんなに若くて元気じゃないか!」
 快活にピュンマ殿下がそう言って、一同はそのまま、庭に出ることになった。

 焼けるような日差しの中、グルリと庭を一回りして。
 別荘に戻ってレモネードを飲んで一息ついた。
 バルコニーの先に見える海はどこまでも青く、美しい。
 海に呼ばれているような気がして、四人は申し合わせたようにいそいそと海へ向かった。

 太陽の光を反射して輝く海を前に、二人の王子が楽しそうに笑う。
 こんなにも楽しそうな王子達の笑顔を見たのは久し振りで、ハインリヒは驚いた。
 故郷を思わせる夏の陽気がきっと、王子達に快活さを取り戻させたのだ。
 四人は、思う存分、波と戯れた。
 まるで少年の日に戻ったようにしてはしゃいで、ハインリヒは自分がもてなし役の主人である、ということすら忘れていられた。
 やがて・・・四人の青年はごくごく自然に、二人ずつ離れ離れになった。



 僅かに日が落ちてきて、日中の苛烈な陽射しは失われていた。
 ジェットの隣で、ハインリヒがごろりと白い砂浜に寝転がっている。
 ぼんやりと、ジェットは海を眺めていた。
 どこまでも青い海はどこまで広がっているのだろう。
 世界中を、繋いでいるのだと考えて、あまりにも壮大なスケールに、ジェットは眩暈がしそうになった。
 離れた場所で楽しげに会話を交わしている王子達の国にも、この海は繋がっている。
そう思うと、不思議な気持ちにもなった。

 海を見ているだけの行為に疲れたジェットは、視線をハインリヒに向かって泳がせた。
 先ほどから黙りこくったままのハインリヒは・・・どうやら、寝入ってしまっているようだった。
 腹筋の辺りの筋肉が規則正しく動いている様を眺めながら、ジェットはハッとした。
 真っ白なハインリヒの肌の一部に、小さな黒子が三つ、集まっているのに気づいたからだ。
 ハインリヒがスースーと寝息を立てる度に、黒子も一緒に動いている。
 見てはいけないものを見てしまったような気がして、ジェットはそっと、ハインリヒから視線を逸らそうとした。
 その瞬間、ハインリヒがぽっかりと目を開いた。
 淡いブルーの瞳が、じっとジェットを見つめた。
「ジェット。オレを助けてくれるか?」
「・・・もちろんだ」
「オレが鎌倉に来たのは、表向きは王子達のお守りということになっているが、本当の目的は、オレが東京にいないという証拠を作るためなんだ。・・・分かるか?」
 ジェットは、ヒョイと肩を竦めて見せた。
「多分、そんなことだろうと思っていたんだ」
「お前と王子達を置いて、オレは時々、こっそりと東京に帰るだろう。あいつに長い間会わずにいるのは耐えられない」
 そこで一瞬ハインリヒは視線を伏せ、それから再びジェットを見た。
「オレの留守を王子達にごまかし、自宅から電話があった時に誤魔化すのは、お前の手腕だ。実は、今夜もオレは夜中の電車で東京へ行き、朝一番の電車でこちらに戻ってくる予定にしている。・・・頼めるか?」
「大丈夫だよ。任せて」
 ジェットが請け負いながらハインリヒの手を取ると、ひどく穏やかに微笑んだ。
「ありがとう、ジェット」
 それから、辺りを伺うようにして、小声で囁いた。
「エッカーマンの宮様の国葬には、お前の父上も出るのだろう?」
「そう聞いているけれど?」
「上手い時にお隠れになってくださった。そのお陰で、ギルモア宮家の納采の儀はのびのびになりそうなんだ」
 ジェットはその言葉に、ドキリとした。
 ハインリヒの恋は、国事に一々関わってくるのだと、改めて感じたのだ。
「・・・ハインリヒ」
 言いかけたジェットを、ハインリヒは制した。
「分かってる、ジェット。ありがとう。でも今は・・・黙って、オレの好きにさせてくれ」
「そうだね・・・」
 ジェットは視線を波間に落とした。
 見事な夕焼けが、青い海をオレンジ色に塗り替えようとしていた。



  〜 続く 〜




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やっと鎌倉に到達できました!!!
好きなシーンはもう少し先ですが。
自分の文章力のなさに、涙が出そうになりました。
上手すぎるんだよ、本家が!







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