切望(後編)




 コズミ夫妻とボグート夫人が再び月修寺に戻った時。
 シュヴァルツは既に、剃髪をしていた。

 張住職に包み隠さず全てを話し、住職はシュヴァルツを出家させる以外に道はないのだと即断した。
 おっとりと温厚な住職に似つかわしくないような、迅速な判断だった。
 ただ、住職はすぐさまシュヴァルツを出家させる気はなかった。
 最後に、ハインリヒと別れを惜しませようと思ったのだ。
 しかしシュヴァルツは、すぐさま剃髪したいと住職に懇願した。
 住職は折れて、けれども念を押すようにして、シュヴァルツに告げた。
「出家したら、もう二度と、ハインリヒには会えない。それでもいいね?」
「はい」
「この世で会わないと決めたら、その時に御髪を下ろしてさしあげる。後悔は?」
「お言葉ですが、後悔などございません。アルベルトとは、充分に別れを惜しんできた。生きてこの先、アレに会う気は毛頭ありません」
 決意の漲ったシュヴァルツの視線に、住職は小さくため息を吐いた。
「そこまで言うなら、明日、御髪を下ろしましょ」

 シュヴァルツの両親が姿を現したのは、剃髪のすぐ後だった。

 何とかシュヴァルツを翻意させようと、コズミ夫人は終いには泣いて頼んだが、シュヴァルツは困ったように眉根をひそめただけだった。
 最後の頼みにコズミ伯爵を残して、二人の夫人は東京に戻った。
 伯爵は、シュヴァルツに翻意を促すようなことを、何も言わなかった。
 うららかな冬の日差しが差し込んでいる寺の中庭を見つめながら、父子は黙って対座していた。
 やがて、コズミ伯爵が口を開いた。
「お前のおかげで、ワシもこれからは、世間にあまり顔を出せなくなるな」
「父上・・・親不孝をお許しください」
 紅い瞳が、僅かに潤んだ。
「お前はもともと、婚儀に乗り気ではなかったのだな。無理強いをしなければ良かった」
「悪いのは全て、私です。父上母上には何の咎もございません。本当に・・・申し訳ありません」
 穏やかな視線を息子に向けて。
 コズミ伯爵は、表情を緩ませた。
「もうすぐ、雪が降るだろう」
「・・・寒くなってきましたね。父上、どうぞいつまでもお元気で・・・」
 スッと、コズミ伯爵が立ち上がった。

 伯爵はそのまま、東京に帰った。




 シュヴァルツが、出家した。
 それは、ハインリヒにとって寝耳に水の出来事だった。
 新聞が「ギルモア家の御都合による」婚約破棄を報じて、初めてそれを知った。
 父も母も、何事もなかったかのように生活をしている。
 ハインリヒはただ一人、シュヴァルツの出家、という出来事から取り残されていた。
 国民が待ち望んでいた祝賀の儀式が、直前になって取りやめられた。
 納采まで終わっていたのに。
 それは、実にセンセーショナルな出来事だった。
 シュヴァルツが頭を患い、それを取り繕うために出家させたらしい。
 新聞は、思わせぶりに書き立て。
 学校でも当然のように、その話題が出た。
 話題が出る度に、ハインリヒの心は痛んだ。
 シュヴァルツは、宮家からの婚約破棄、頭を患ったなどと、不名誉を一身に背負った。
自分だけが、のうのうと生きている。
 あまりにも思い詰めるあまりに、ハインリヒはぼんやりとこんなことを考えるようになった。

 シュヴァルツの出家は、世間の目をくらますために違いない。本当は出家など嘘で、世間のほとぼりが醒めたら、二人で手に手を取って、身を隠すのだ。だから、手紙の一本も寄越さないのだ。

 誇り高いシュヴァルツが、そんな卑怯な真似をするわけがなかった。
 けれどもハインリヒは、己のその考えに縋り付いた。
 シュヴァルツからの手紙がいつ届くか届くかと、ハインリヒは待ちわびた。
 ・・・手紙が、届くことはなかった。

 自分では気づいていなかったが、ハインリヒは徐々に痩せていった。
 そして、他人には隠していたが、時折酷い眩暈に襲われたり、頭痛に悩まされるようになっていた。
 シュヴァルツのことに思いを馳せると、ろくに眠ることもできない。
 不眠が徐々に、それらの症状を悪化させていった。




 冬も深まって二月に入ると、ハインリヒの周りの学友達は卒業試験や進学試験でバタバタとし始めた。
 ハインリヒだけが、ぼんやりと無為に時間を過ごしているようだった。
 明日こそシュヴァルツからの手紙が来るかもしれないと、ハインリヒはじりじりとしながら待っていた。
 冷たい月明かりの下で、一人枕を濡らして。
 夢の中でだけ、ハインリヒはシュヴァルツに会うことができた。
 何度か夢にシュヴァルツを見るうちに・・・。
 ハインリヒはなんとしても、シュヴァルツに会わなければならないと、激しく思うようになった。
 シュヴァルツに会おう。
 その想いが、ハインリヒを駆り立てた。
 けれどもシュヴァルツとの関係が漏れてから、父母に警戒されていて、小遣いも持たされていない。
 
 思い余って、ハインリヒはジェットに借金を申し込んだ。





  〜 了 〜




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ここでは、父子の語らい(?)の場面が好きです。
さてさて。
次が最終章です〜!
が、がんばるっ!!!美しく終わらせられるように・・・!






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