切望(前編)
コズミ夫人は、息子の扱いをどうしてよいのか分からず、途方に暮れていた。 汽車は無事に京都に辿り着いたが、シュヴァルツはまるで別人のように無口になっていた。 コズミ夫妻にとって、シュヴァルツは自慢の息子だった。皇室の血を引く姫にこうけ?いただいても遜色ないような、全てにおいて優れた親想いの出来た息子だったのに。 どうしてこんなことになってしまったのだろうかと、夫人は隣にいる息子に視線を当て、人知れずため息をついた。 シュヴァルツは黙ったまま、平然としている。 人力車に乗って、一行は月修寺へと向かっていた。秋も深まっている時期なのに、木々は紅く色づくことをしていなかった。 「どうして紅葉がこんなに遅れているのかしら?」 夫人が呟くと、シュヴァルツは返事をせず、ただ静かに笑んだだけだった。 月修寺へと確かにシュヴァルツを送り届けると、ボグート公爵夫人は夫にその旨を電報し、東京にとんぼ返りした。 コズミ夫人は、息子とたった二人で取り残された。 月修寺の門をくぐると、張住職の側に仕えるピュンマが現れ、二人を構内に案内した。 部屋に通されて、住職が今回の来訪をどれほど楽しみにしていたかをピュンマが説明しているうちに、張住職が現れた。 コズミ夫人が今回のシュヴァルツの婚礼の件を申し述べると、住職は温和に頬を緩ませて祝いの言葉を述べた。 「それは目出度いことね。フランソワーズ内親王殿下は、お気が強くていらっしゃるが、優しい方よ。大切にして差し上げるね」 住職の言葉に、シュヴァルツは言葉少なに受け答えしていた。 いつもは滔々と話すシュヴァルツに住職が不審を感じない訳がなかったが。 住職は一言も、そのことについて触れなかった。 「今年の紅葉は遅いね」 言いながら、住職は部屋の障子を大きく開いて、庭の紅葉を見せてくれた。 山の上の方にあるこの寺の紅葉は、街のものよりも鮮やかに色づいていた。 数日の間、夫人とシュヴァルツは寺に泊まることになっていた。 住職とピュンマから心づくしの夕食が出され、赤いご飯も供されたが、シュヴァルツは幸せそうな素振りひとつも見せなかった。 その晩、母子は何年ぶりかに同じ部屋に床を並べた。 夫人はなかなか寝付くことが出来なかったが、それでもいつの間にか、うとうとと眠りに就いた。 夜中にふと目覚めると、シュヴァルツの姿がない。 夫人はさっと青ざめ、息子の姿を求めて寺を彷徨った。 途中、若い僧に出会い、寺の案内を請うたが、恐縮するばかりで案内をしようとしない。 途方に暮れていると、ピュンマが現れた。 シュヴァルツの姿が消えてしまったことを告げると、ピュンマは燭台を持ち先に立って歩き出した。 案内されるがままに構内を捜し歩いていると、御本堂に薄っすらと明かりが灯っているのが目に移った。 こんな時間にお勤めを始めている僧はいないはずだ。 本道へと続く障子を開くと。果たしてそこに、シュヴァルツの姿があった。 「シュヴァルツ!」 悲鳴のような声を上げ、夫人は息子の名を呼んだ。 艶やかな絹糸のように美しい息子の銀の髪は・・・無造作に仏前に散らばっていた。 「御髪を下ろしたのね?」 「母上。お許し下さい。私には他に、どうしようもなかったのです」 そう言って夫人を見つめたシュヴァルツの紅の瞳は、穏やかに凪いでいた。 あまりのことに言葉を失っている夫人を、ピュンマが住職の下に連れて行った。 夫人が途切れ途切れにシュヴァルツが髪を下ろしたことを告げると、住職は少しも驚かなかった。 「やっぱりなあ。そんなことになるんじゃないかと思っていたよ」 そして、シュヴァルツも色々と話したいことがあろうから、しばらく二人きりにしてくれないかと言った。 為す術もなく、夫人はその言葉に従うことしか出来なかった。 住職とシュヴァルツが出てくるまでの間が、途方もなく長く感じられる。 やがて、シュヴァルツを伴って夫人の前に現れた住職は、思いもかけぬことを告げた。 シュヴァルツの遁世の意思は確かであるので、このまま寺に申し受けたい、というのだ。 住職の隣で、息子はただ、静かに佇んでいた。 もう既に、俗世から抜け出して遠いところに行ってしまったような、そんな佇まいだった。 「旅先で急に起きた出来事ですし、主人にも事情を話さなければなりません。私は急ぎ東京に戻りますが、その間、シュヴァルツの身柄はお預かりくださいますように」 やっとのことで夫人がそう答えると。 静かな目線が、夫人に向けられた。 夫人は、その瞳の静けさに気づかない振りをした。 ・・・なんとしても、シュヴァルツを翻意させなければならない。 住職にシュヴァルツの身柄を預かってくれるよう頼んだその足で、夫人は東京行きの汽車に飛び乗った。 〜 後編に続く 〜 |
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髪を下ろす場面が、すごい好きなのです。
が・・・。
黒様の美しい銀の髪が短くなってしまったのは悲しい。
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