THE SOUND OF MUSIC H
多くの人々からの祝福を受け、ジュリアスとアンジェリークは新婚旅行に旅立った。
二人の留守の間に、オーストリアとドイツは合併され、ドイツ兵が闊歩する姿を街中の至る所で目にするようになった。
家々には、ドイツの国旗が掲げられている。
残された子供達は、音楽祭の準備に余念がない。
オリヴィエに連れられて、今日もステージで練習に励んでいた。
音楽祭の会場の前に、黒塗りの車が停止した。
中から出てきたのは・・・リュミエール。
「ハイル・ヒトラー!」
声をかけられたオリヴィエは、素知らぬ風を装いながら、挨拶を返した。
「ああ、リュミエール。こんにちわ」
リュミエールが、柳眉をひそめた。
「わたしは現在、ナチ政府の地方長官です。オリヴィエ、ハイル・ヒトラー!」
しぶしぶと片手を挙げ、オリヴィエはボソリと呟いた。
「・・・ハイル・ヒトラー・・・」
重々しく頷き、リュミエールはオリヴィエを意味ありげに見つめた。
「大佐の家を見回ってきました。ドイツ国旗を掲げていないのはあの家だけなので、然るべき処置を取らせていただきましたよ」
「あっそ。それで??」
「家政夫は口が堅くて、情報を一言も漏らさないもので、こちらに伺ったのです」
「何の情報が欲しいのさ?」
「大佐のお戻りは・・・??」
「知らないよ〜ん。イイじゃない、ハネムーンぐらい、子供達から解放されたってさ」
オリヴィエの言葉に、リュミエールは小さく溜め息を付いた。
「大佐には、お戻りになり次第、新政府の任務についていただきます」
スーッと、オリヴィエの瞳が細くなり。
彼は皮肉気な口調で述べた。
「それはそれは、ナチ政府も粋な計らいをするもんだねぇ」
そして、少しだけ間を置いて続けた。
「音楽祭の開催を許可するなんてさ」
リュミエールは、ニッコリと極上の笑顔を浮かべた。
「当然です。オーストリアは何一つ変わっていないのですから。音楽祭は、その事実を世界中に示すことでしょう」
そして、クルリとオリヴィエに背を向けた。
「それでは、失礼致します」
その後姿を見送った後、オリヴィエは子供たちに向かって、肩を竦めて見せた。
「さ、もう帰ろうか・・・」
オリヴィエに促され、会場を出て車に乗り込もうとした一同だったが。
「・・・コレット、コレット!」
突然聞こえてきた青年の声に、コレットの表情がパッと輝いた。
「アリオス!・・・会いたかったわ・・・」
コレットに駆け寄り、アリオスは一通の手紙を差し出した。
「大佐が戻り次第、渡してくれ」
「旅行中よ?」
「知っている。ベルリンからの電報だ。確かに渡してくれよ」
そのまま急いで行き過ぎようとするアリオスを、コレットは呼び止めた。
「ねえ、アリオス。今晩、家に届けてちょうだい?」
「オレは多忙なんだ。大佐も命令に従うのが身のためだぜ。そう伝えておきな」
コレットはひどく悲しそうな表情になった。
けれどもアリオスは、そのようなことには頓着せずに、コレットに一言もなく駆け去っていく。
「コレット・・・」
オリヴィエから声をかけられ、ようやくコレットの身体が動いた。
「あ、ごめんなさい。すぐに行きます・・・」
ポンポンと慰めるように肩を叩かれ、コレットはニッコリとオリヴィエに微笑んで見せた。
旅行から戻ってきたジュリアスは、玄関先を見るなり不愉快そうな表情になった。
これ見よがしに掲げてあるドイツ国旗を引き摺り下ろし、力任せに引き千切る。
ジュリアスにとって、この国はまだ、オーストリアだった。
それなのに何故、別の国の国旗を掲揚しなければならない?
ドイツ国旗を握りしめ、苦々しげに立ち尽くすジュリアスの耳に、賑やかな笑い声が聞こえてきた。
「お父様〜!!」
マルセルがブルブルと車から手を振った。
「早かったじゃねえか」
言いながらゼフェルも、嬉しそうに笑った。
「電話を待っていたのよ」
レイチェルが非難がましく言いながら、けれどもギュッと、ジュリアスに抱きついた。
その頭を軽く撫でてから、ジュリアスは手にしていて布切れを車の中に放り投げ、オリヴィエに小声で囁いた。
「急いで戻った」
「・・・酷いコトになってるよ・・・」
そして子供達に向き直ったジュリアスは、その頬に機嫌の良い笑みを浮かべる。
「そなた達の、この声が聞きたかったのだ」
家の中から出てきたアンジェリークが、ジュリアスと子供達の様子を見て、そっと微笑んだ。
「あ、マリア先生・・・じゃなくて、お母様!見てください、僕達、音楽祭で歌うんですよ」
アンジェリークの姿に気付いたティムカが、プログラムを持ってその側に寄り添った。
ジュリアスが、オリヴィエを振り返る。
「どういう事だ?」
「えーと、音楽祭は迫るし、アンタとは連絡が取れないしで、その・・・」
「中で話し合おう」
ジュリアスは再度、子供達に笑顔を向けた。
「お土産はテラスだ」
「うわぁーい!!」
メルを先頭に、子供達が駆けていく。
その後からゆっくり、ジュリアスも家の中に足を踏み入れた。
「すぐに資格が取れたよ。素晴らしい7人姉弟の合唱団だ。音楽祭で人気を攫うよ」
「前にも言ったはずだ。私の子供達は、人前では歌わせない」
ジュリアスとオリヴィエの少し前を歩いていたアンジェリークが弾んだ声で尋ねた。
「ねえ、オリヴィエさん。子供達の評判はどうでした??」
「もう大絶賛だよ」
アンジェリークがジュリアスの前に進み出た。
「今回だけ、許してもらえないかしら?」
「話にならんな」
「ジュリアス!祖国のためだよ」
オリヴィエの言葉に、ジュリアスは居住まいを正し、丁寧に返事をした。
「祖国は、もうない」
「平和的合併だった。幸せじゃないか」
「オリヴィエ・・・!!」
ジュリアスの声が、ビリビリと辺りの空気を震わせる。
「幸せだと?今の、この国が??」
そして、少し声のトーンを落とした。
「私は時々、そなたが分からなくなる」
場の雰囲気をどうにかしようと思ったのか、コレットがジュリアスに電報を差し出した。
「お父様、電報よ」
「ああ、ありがとう・・・」
その紙を受け取り、ジュリアスは奥の間に姿を消した。
「アンジェリーク。今は親ナチ派の振りをしていた方が身のためだよ」
「主人の意思を尊重したいわ・・・」
「音楽祭に出場しないと、抵抗だと受け取られる。それは絶対にまずい。私がジュリアスを説得してこよう」
そして、オリヴィエはアンジェリークに向かってパチンとウインクをして見せた。
「私も、儲け口がフイになっちゃうしね」
アンジェリークとコレットは、並んで歩いていた。
「お母様と呼べて嬉しいわ。そして、お父様を心から愛しているのがよく分かる」
「ええ。愛してるわ」
「でも愛って、思うようにならない時もあるわ。そんな時は・・・どうしたらいいの?」
ジュリアスへの想いに悩んでいた自分と、今のコレットの姿が重なって。
アンジェリークは優しく、コレットの腕を取った。
「少しだけ泣くの。そして、夜が過ぎて太陽が昇るのを待つのよ」
ほんの少し考えた後、コレットが答えた。
「考えれば考えるほど分からないの。世界の終わりのような気もするし、始まりのような気もするの・・・」
コレットの青緑色の瞳を覗き込みながら、アンジェリークは言った。
心からの気持ちを込めて。
「いつか、嬉しいことがたくさんやってくるわ」
「本当に?」
「ええ、本当よ・・・」
そして優しく、コレットを抱きしめた。
「ありがとう、お母様・・・」
コツコツ。
不意に硬い靴音が聞こえ、二人は音の方向を振り向いた。
そこには、気難しい顔をしたジュリアスが立っていた。
「コレット」
指先で、部屋から出て行くように指示をする。
何かを感じ取ったのか大人しく部屋を出て行こうとしたコレットの髪を、ジュリアスが優しく撫でた。
「行きなさい」
「はい」
ジュリアスは、アンジェリークに向き直った。
「どうしたの?」
「ドイツ海軍からの召集令状だ。明日、ブレーメルハーフェルの海軍基地に出頭要請だと」
「いつかは・・・と思っていたけれど、こんなに早いなんて・・・」
「拒否すれば、一家は破滅だ」
ジュリアスはアンジェリークを抱き寄せ、額にキスを落とした。
「しかし、応じるつもりなど毛頭も無い」
この人の、この意思の強さが好きだ。
そう思った瞬間、肩を力強く叩かれ、アンジェリークはジュリアスを見上げた。
「子供達に仕度をさせてくれ。心配をさせないように」
「それは・・・」
言いかけたアンジェリークに、ジュリアスは頷いて見せた。
「国を、脱出する。この家も今夜限りだ・・・」
そして、夜の帳が街を包み込む頃。
闇の中、静かに脱出用を図る一家の姿があった。
ジュリアスと一緒に車を押しながら、オリヴィエがボヤいた。
「ああ、泣けてくるよ。音楽祭の優勝候補が欠場なんて・・・」
そんなオリヴィエを見て、ジュリアスが可笑しそうに笑った。
「音楽祭の頃は、国境越えだ」
「私の犠牲に感謝しなさいよね!!」
「そなたのは、自業自得ではないか」
「だから、協力してるんじゃないか・・・」
屋敷の正門を、そっと開き。
車を外に出して、急いで乗り込もうとした一家を、パッとライトが照らした。
人口の光の中で、にこやかに微笑んでいるのは・・・。
「リュミエール・・・!!」
「おやおや。どうなされたのですか、ジュリアス大佐?まるで、闇に紛れるように」
「エンジンが故障したのだ・・・!」
部下に向かって、リュミエールが指示を出す。
「大佐のお車を直して差し上げなさい」
命令を受けた兵士はジュリアスの車に乗り込み、エンジンをかけた。
アンジェリークが、心配そうに成り行きを見守っている。
「電報は読まれましたね、ジュリアス大佐。第三帝国海軍からの・・・」
リュミエールの言葉を遮り、ジュリアスは声を荒げた。
「私の記憶では、この国に通信文の盗み読みの制度などはないっ!!」
蒼の瞳が、リュミエールに突き刺さらんばかりに苛烈な光を宿した。
「私が知っている、オーストリアでは・・・!」
リュミエールは睫毛一つ動かさず、冷ややかに告げた。
「わたくしは命令に従い、今夜ジュリアス大佐を新しい任地に送り届けます」
ジュリアスは、その言葉を鼻でせせら笑った。
「それは、不可能だ」
そしてジュリアスは、アンジェリークに視線を走らせた。
「私たちは、音楽祭に出場するのだからな。これから、会場に行く所だったのだ。聴衆が、我々を待っている」
「急がないといけませんわ」
アンジェリークが頷いた。
「プログラムだよ」
オリヴィエが、音楽祭のプログラムをリュミエールに手渡す。
素早く目を走らせ、リュミエールは呟いた。
「子供達の名前しかありませんが・・・」
「トラップファミリーと書いてある。この私は、一家のリーダーだ」
「しかし皆、旅行用の服装ですね・・・」
「舞台用ですわ。夜の空気は身体に悪いので・・・」
しばし考えた後、リュミエールは頷いた。
「歌を、許可いたしましょう。本日の音楽祭は、大衆に深く印象付けることでしょう。この国が、変わらぬことを。終了後、ジュリアス大佐を任地に護送いたしますので、そのお積りで。それでは、音楽祭の会場までお送りしましょう。全員、車にお乗りなさい」
「送ってもらう必要は無い・・・!」
「貴方がなくても、わたくしにはあるのです。途中で大佐を見失っては大変ですからね」
そう言って、やっぱりリュミエールはニッコリと微笑んだ。
歌いながら、ジュリアスの瞳が会場を監視している兵士達の姿を確認していることに、アンジェリークは気付いた。
ジュリアスの視線は兵士からリュミエールに移り、その瞳に不快そうな色が浮かんだ。
チラリとジュリアスに視線を投げかけると、アンジェリークを安心させるかのように、ジュリアスは微かに笑ってみせた。
トラップ一家の歌は、大喝采だった。
歌の後、オリヴィエがギターをジュリアスに手渡し。
マイクを使って、ジュリアスは会場に語りかけた。
「オーストリアの皆さん。私は、長期間この国を留守にします。祖国への愛を込めて・・・歌います。皆さんも、その愛をどうか死なせないで下さい」
アンジェリークと子供達は、舞台の正面から外れた。
スポットライトがジュリアスに当たり、ジュリアスはギターを弾きながら歌いだした。
曲目は・・・エーデルワイス。
深い深い声で。
ジュリアスが歌う。
アンジェリークはその様をじっと、見守った。
どんな想いでジュリアスは歌っているのだろう・・・。
それを思うと、胸が締め付けられそうな気持ちになる。
「我が祖国に・・・永遠の祝福を・・・」
一番を歌い終えたジュリアスだったが、そのまま、声が掠れてしまう。
愛する祖国を思い、胸が一杯になってしまっているのだろう。
たまらず、アンジェリークは子供達を誘いながら、舞台の中央に進み出て歌った。
祖国への。
そして、ジュリアスへの想いを込めて。
ジュリアスの瞳がキラリと濡れたように光り、彼がそっと、瞳を細めた。
子供達とアンジェリークと。
ジュリアスの声が混ざり合い、美しいハーモニーとなって流れていく。
聴衆に向かってジュリアスがヒラリと手を振って合図をすると、会場中が歌声に包まれた。
歌が終わると、先ほどより大きな拍手が一家を包んだ。
舞台の中央に歩み出てきたオリヴィエが、ジュリアスに囁きかけた。
「きっと、上手くいくよ。辛いよ、金の卵に逃げられるのは・・・」
オリヴィエはマイクを取り、聴衆に向き直った。
「いよいよ音楽祭も終わりです。優勝を栄冠を勝ち取るのは、一体・・・?結果が出るまでの間、もう一曲お聞きいただきましょう」
そしてオリヴィエは、一家を振り返った。
「トラップ一家の歌が聞けるのも、これで最後です。大佐は音楽祭終了後、新しい任務に就くべくドイツに護送されます」
会場がざわめき、リュミエールが苦々しげに舌打ちした。
「それでは、トラップ一家が歌います。『さようなら、皆さん』」
歌とともに、子供達が退場していく。
最後に、ジュリアスとアンジェリークが腕を組みながら舞台を降りると。
会場は一際、大きな拍手で包み込まれた。
アンジェリークが、ジュリアスを見上げる。
「急ぎましょう、あなた」
「うむ。分かっている・・・」
子供達を連れて、アンジェリークとジュリアスは密かに、音楽祭の会場を抜け出した。
〜 Iに続く 〜
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更新が滞っていて、本当に申し訳ありません!!
あと一話で終了です〜。
今年中に完結させます。
これは絶対です・・・!!
エーデルワイスを歌うトラップ大佐を心から愛しているので、
ジュリ様でそのシーンが書けて幸せでした・・・vvv
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